恋愛は、逃げるが勝ちだが、役に立つ
1.
星野源主演の映画「箱入り息子の恋」を見た。
役どころは30歳を過ぎた市役所職員で、恋人いない歴=年齢という人物。
一昔前だったら笑って済ませられた映画かもしれないが、以下のニュースを見ると、もはやここに描かれている内容は多くの若者に共感を呼ぶ現実だということがわかる。
恋人いない?いらない?若者たちのホンネ : 深読みチャンネル : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) 1/3
現在、交際相手のいない未婚者(18歳から34歳)が男女ともに過去最高に。男性69.8パーセント、女性59.1パーセントに恋人がいないという。
ただし、未婚者の多くが結婚願望があるようで、男女ともにいずれも85パーセント以上がいずれは結婚しようとも思っていると回答しているようです。
このデータは、国立社会保障・人口問題研究所が発表したものなのでかなり信頼性の高いソースといえる。
2.
結婚はしたいけれど恋人は作らない。
一見不可解で、矛盾するようなデータの理由は、実はとってもシンプルではないか。
つまり、遊びの恋人を作っているような時間もお金もないということだ。
経済学的に考えれば当然で、長期的な関係を築きえない恋人というのは、ある意味娯楽であり、不良債権とも言える。 それでもあえて、恋愛をしている人たちは、恋愛が趣味ということになるのではないか。
現代は、楽しいことがたくさん用意されているが、その中の選択肢の1つとして恋愛を楽しむ若者が一部いるということだ。
21世紀の日本では、家を継ぐという考え方が希薄な若者がほとんどであるだろうし、自由恋愛が当たり前。これは、恋愛をするもしないも自由ということだ。
恋愛はいい思い出も悪い思い出も残してくれて、人生の経験値を上げてくれる。しかし、経済学的な側面から見れば、何も残らないか、むしろマイナスになっていることも多い。「恋愛は逃げるが勝ち」が、合理的判断の上では正しいのかもしれない。
3.
しかし、一度でも恋愛をしたことがあれば、それがどういうものかが分かるので、いたずらに怖がりすぎたり、自分を否定するようなことはなくなると思う。
「恋人ができないのは、私の人格や見た目に重大な欠陥があるのではないか。」
恋愛経験が無い方の中には、そんなふうに責任の矛先を自分に向けてしまう方もいるかもしれないが、ほぼ100%、それは間違っていると思う。
自分が大学時代に出会った女友達の中にも、今まで全く恋愛をしたことがないという人が数人はいた。 しかし彼女たちの多くが、一般的なレベルから見てもかなり綺麗で、性格もよかった。(言っては悪いが、そんな彼女たちに比べてルックス的に難あり、という子達が普通に彼氏持ちだったり、1番結婚が早かったりする)
もちろん、男友達の中にも恋愛経験ゼロという人が少なくなかったが、彼らは皆いい奴らで、容姿の面でも普通で、全く問題はなかった。
というか、服装や髪型をちょっと勉強して、女性なら多少メイクして。あとは清潔にして、会話でまともに受け答えできれば、ほとんどの人は恋愛面の障壁なんて無いに等しい。
4.
恋愛は、多くの場合、不良債権かもしれない。お金も時間もとられてしまう。傷つくことも多いかもしれない。
それは正しい。そして、それを(無意識にでも)理解している若い子たちは賢い。
しかし「必要のないコンプレックスを持たなくて済む」という意味で、恋愛は役に立つ。
一度恋愛を経験した後は、数ではなく質で勝負すべきだ、と思う。
自分の理想にかなう完璧な異性なんてきっと存在しないけれど、自分が少しずつ成長して大人になっていけば、人生を一緒に歩んでいけるパートナーが見つかるのではないだろうか。
少なくとも、焦る必要はないと思うけどなぁ。
薬よりタバコのほうがマシ、という話
1.
俳優の成宮さんにコカイン疑惑が突如浮上した。
小倉キャスターは「そんなことする人とは思えない」と言っている。
自分も同じ感想だ。
しかし、清純派の酒井法子や、クリーンさが命の野球選手(清原)などの例もあるので、なんとも言えない。そもそも、村上春樹だって(だいぶ昔の話だけど)大麻を吸ったことがあるという記事が載ったこともあるし…。
2.
嫌煙ブームはピークを過ぎた印象だが、オリンピックに向けて、タバコが吸える場所がどんどん限定されてきている。アメリカに追随するならば「公共の場所」では、喫煙できなくなるだろう。したがって、喫煙エリアすらなくなる可能性がある。
でも…麻薬はしっかり規制して良いと思うが、タバコは別にいいんじゃないか、という気がする。
というか、タバコを吸ってたほうがまだマシだ。
噂によれば、芸能界の薬物汚染はかなり深刻だという。実際に、売る側からすれば良い条件をかなり備えているのだろう。
そんなものに手を染めるなら、タバコでも吸っていればいい。あとは、お酒でも飲めばいい。
でも、世の中には「ぜったい、ダメ」と言われるほどに、やってみたくなる人も多い。
それが何かすごいものに思えるからかもしれないが、別に大したことはないんじゃないか?
例えば将来「カフェインに覚醒作用があるから禁止」「コーヒーは禁止」なんてことになれば、芸能界でコーヒーが流行るのだろうか?
【ASKA、ドリップコーヒーで逮捕。ブルーマウンテン所持】
…バカげている、まったく。
法律がすべて正しいとは思えないが、人生を破滅させてまで、あえて破る価値のあるルールなんてない。それより、もっと楽しいことはいくらでもあるのに…。
マナーってなんだろう? という話
1.
こんなニュースがあった。
電車マナーを巡って口論となったらしい。
優先席をめぐり、お年寄りと男性が口論になったとのこと。
お年寄りには「高齢者へは席を譲ってしかるべき」という「正義」がある。
しかし男性にも言い分がある。ツイッターにこう投稿したそうだ。
「私は優先席を譲りません!!なぜなら先日、今にも死にそうな老人に席を譲ろうとしてどうぞと言ったら『私はまだ若い』などと言われ、親切な行為をした私がバカを見たからです。今後とも老人には絶対に譲りません」
…つまり、男性にも一応「正義」がある。
2.
実際に、若い人でも、外見ではわからない重篤な障害を抱えている可能性がある。
また、自分の知り合いは、過重労働で血を吐き、入院した。まだ若い方ではあるが、一般的な高齢者よりも、明らかに「優先席に座らなければならない人間」だと思う。
シチュエーションは様々だ。
一概に何が正解とは言えない。
小さな衝突だが、「正義」と「正義」が衝突すると、話は平行線で、なおかつロクな結果にならない、というような一例と感じる。
3.
この問題の解決は、決して難しくない。
「女性専用車両」と同じく「高齢者専用車両」を作ればいいのだ。そして「高齢者専用車両」は座席だらけにすればいい。資金面については、一般の大人料金に、プラス100円〜数百円程度にすればよいだろう。
自分を高齢者だと思わないアクティブな方は、一般車両に安く乗る。
もちろん、そのような方々は「席を譲れ」などとごねることもない。
4.
もちろん、お金を使わない解決方法もある。
「思いやりのある丁寧な言葉で話すこと」だ。
「すみません。腰が痛くてたまらないので…申し訳ありませんが、席を譲って頂けないでしょうか?」
この一言が言えれば、男性の対応も違っていたのではないだろうか?
5.
コミュニケーションを「コミュ力」などと呼び、ビジネスや就活でだけ役立てようとする人も多いかもしれない。
けれど、コミュニケーションとは究極的には、
「自分が絶対ではないことを知り、謙虚に相手の気持ちを知る努力」以外の何ものでもない。
相手を思い通りに操作することではない。
仮に「高齢者専用車両」を作ったとしても。
ある意味では、考え方を変えていかないと、意味がない。
トラブルの種なんて、いくらでもあるのだから。
世界を見に行く…青年の末路
1.
コロンビアで、日本人青年が殺害された。ご冥福を祈りたい。
命は平等であるし、尊いことに変わりはないけれど、国によってはそれが簡単に失われることがある。
2.
実は、コロンビアは、世界有数の治安の悪さだ。
殺人件数:14883件/年(1日に41件)
南アメリカ大陸の北に位置するコロンビアは、麻薬製造とその密売で悪名高い国である。
また、スペイン人系統の裕福な人とコロンビアのほとんどを占める貧民との間で、誘拐や強盗事件などが多発している。
1990年代には、誘拐と殺人の件数は年間30,000件を超えたが、そのうち97%は処罰を受けなかった。
コロンビアには麻薬組織やテロ組織、マフィアが存在し、警察ですら、殺害や誘拐のターゲットになることが珍しくない。そして、警察そのものにも賄賂や汚職がはびこっていた。現在はどうか知らないけれど…。このように警察機能がマヒしている国も少なくない。
コーヒーの名産国であるため、意外に感じる方も多いかもしれないが、日本では一生遭遇しないような危険な目に遭う確率もかなり高いのだ。
「世界を見に行く」という若き青年の志は素晴らしい。
しかし、これから海外へ行かれる方は、きちんと危機意識を持っていくべきだ。
…今はネットがあるので、最低限、大使館や外務省からの情報をチェックし、治安レベルやテロレベル、犯罪件数や、外国人がよく遭遇する被害などを確認しておく。できれば、近年邦人の身に起きた事件のニュースも調べるといい。
そして、それらの犯罪に遭うリスクをよく考慮した上で、心配ならば、渡航しないという選択も英断だ。結局、自分の命を守れるのは、自分自身だからだ。
どうしても危険な国に入るならば、信頼できるガイドやコーディネーターに同行して貰う、あるいは雇うこと。
「君、ダメだよ。電子機器なんか手に持ってたら。盗まれるよ。しまいなさい」
「盗まれても追いかけるな。命のほうが大事でしょ?」
…そう言ってくれるガイドやコーディネーターがいれば、彼は亡くならずに済んだのだ。いたたまれない。
3.
自分は「家に帰るまでが遠足」という言葉が好きだ。
すべての旅行者は、この言葉を胸に刻むべきだと思う。
さようなら24時間、の話
1
ロイヤルホストが24時間営業を廃止するという。また、飲食業界では異例ともいえる定休日の導入も検討しているとか。
自分の地元には、24時間営業の喫茶店やファミレスが、徒歩圏内に2つ、車で行ける場所なら5個程度思いつく。
一方、旅をして地方や田舎に行くと、24時間営業の喫茶店やファミレスが1つあればいいほうだ。でも、別に困らない。
2.
20代の頃を思い返すと、夜型で、徹夜で仕事をしたり、締め切りに追われて深夜まで仕事をせざるを得ないケースも多かった。
そんな時は深夜営業のファミレスに行って、一晩中PCとにらめっこしたりした。
でも、30代になると仕事が管理できるようになり、あえて夜に仕事をしなければならないことも減ってきた。もちろん、体力的に、夜仕事をすることがきつくなって来ているわけで…。
最近言われ始めたことだけど、日本の企業は、少々「サービス過剰」なのではないかと思う。 これは素晴らしいし、日本ならではの長所だと感じるけれど、やっぱりそこで金銭的な見返りが発生してしかるべきだと思う。
よく、今後の社会や企業のあり方として持続可能という言葉が使われるけれど、これはつまり「無理をしない」ということだ。
仕事をしたり、あるいは社会を運営する以上、ある程度一人一人が頑張ったり、気を付けなければならないこともある。
しかし、それが報酬に繋がらなかったり、長続きできないほど無理をしなければならないならば、そもそも 運営体制が間違っているということだ。
ただ、社内体制がきちんと設けられていても、進んで残業してしまったり、自ら過酷な労働環境に追い込んでしまう人が少なくないようだ。
その根底には、「苦労すれば報われる」という美しい理念(思い込み)があるのではないか。
3.
かなり頑張っても、逆に結構手を抜いても周りの人と同一の賃金がもらえるアルバイトや、それに近い形で働くサラリーマンの方にはわかりにくいかもしれないけれど…
「苦労や頑張り」と「報酬」は、実はあまり結びつかない。
報酬は「生産性」と言い換えてもいいかもしれない。
こんなエピソードを聞いたことがある。
ある部署で、定期的にデータ整理をする期間があり、その時は数人の社員が1日中その仕事に従事しても、計1週間〜10日もかかっていた。
しかし、とある新入社員がパソコンに強く、自分でプログラムを書いて仕事を1日で終わらせてしまった。
普通に考えれば、その新入社員は、全員から称賛されるはずである。けれど実際には、先輩たちからのひんしゅくを買い、不評だったそうだ。
その先輩たちからすれば、何年もこの仕事をやってきて、かなり上達しており、自信を持っていたはずだ。とてつもなく大変な仕事なので、もちろん苦労しただろう。
しかし「たった1人の新入社員が自分の積み重ねてきた苦労や評価を台無しにしてしまった」…そんなふうに感じたのではないだろうか?
でも、会社全体、あるいは社会全体の利益から考えれば、プログラムにできる仕事はプログラムに任せてしまったほうがはるかに効率が良い。ほかの人たちは、それ以外の仕事ができるのだから、全体ではより多くの仕事ができるはずだ。
4.
「苦労・頑張りと報酬が結びつかないこと」が認められない、頭の固い人にとっては、「仕事は大変なもの」である。
逆に言えば、「自らの仕事を効率化して生産性を上げる」という最も大切な仕事を怠けているともいえる。
頭の固い人が1人や2人ならいいけれど、社員が競い合うように苦労や頑張りを最も重視するようになり、仕事の効率化をなるべくしないように努力し始めたら……その会社に未来はないだろう。
(いわゆる「社員のがんばる姿を評価する」みたいな体育会系の会社と取引させて頂いたこともある。しかしその多くが残念ながら、クライアントと上司に振り回され、社員が鬱や体調不良で辞めていったり、最悪の場合には潰れるケースも目にした…。)
過労死をなくすために残業を強制的に禁止したり、お店の営業時間を減らしたりすることは良いことだろう。
しかし「その分しっかりと効率を上げる」ということを真剣に考えていかないと、結局は悪い結果をもたらすことになるでしょうね…。
年金を頼るか、それとも…の話
1.
年金の受給資格が10年に短縮されるという。
これは、親切と言うより、年金を払っていない人間に「10年だったら払おうかな…」と思わせるためなのではないかと思う。
たぶん、手っ取り早く金が必要なのだろう。
これがきちんと運用されるのか、あるいは、お金を集めるだけ集めて「やっぱり受給できませーん」となるのか…気になるところだ。
2.
でもまあ、年金頼りの将来設計は、ちょっとどうかなあ、と思うのが、正直な感想だ。
311の賠償問題もあるから、国の財政、というか国民の財政は大丈夫?と不安になってしまう。
とりあえず、しっかり稼いで、あとは資産運用でもするかな…30歳だから、年齢的にはちょうどいいよなあ。
禁煙化が進む…文系と理系の違い…など雑多な話
1
これまでタバコが吸えたファミレスが完全禁煙になったり、あるいは、曜日や時間帯によっては吸えなくなってきている。
残念だけど、時代の流れというやつだろうか…。
考えれば、禁煙化は今に始まったことではない。
駅で吸えなくなり、路上で吸えなくなり、それでファミレスでも吸えなくなり…
しまいには、喫茶店でも吸えなくなるかもしれない。
もちろん、日本の場合には2020年のオリンピックがあるわけで、特に東京や、その他の観光地ではどんどん厳しくなっていくだろう。
タバコの値段も上がってくる予定なので、どうしようか…という感じである。
不便で、なおかつ不経済な感じになってくると、やはりタバコをいつかはやめなくてはならないのかもしれない。
その代わりに大麻が解禁されたりするのだろうか?
うーん…それってどうなんだろう。
2
こんな感じで世の中がどんどん変わっていく。
だから、自分もそんな時代を横目でみながら、いろいろ考えて、先々のことを考えなくてはいけない。
とりあえず、今年〜来年いっぱいは日本各地をいろいろ旅してみる。
と、同時にやはり勉強したいという気持ちが強い。
その場所が大学なのか、大学院なのか、もしくはもっと別の場所なのか…まだよく分からないけれど。
…正直なところ、大学は「ただ単に、純粋に勉強しよう」という気持ちで入学した。
そもそも何がしたいかもよく分かっていなかったのだ。
(文章を書くのが好きなので、作家か研究者にでもなろうか…とは思っていたが)
それで「勉強する」という目的はある程度達成することができた。
今のところ、それが糧になっているし、ある程度役に立っているとは思う。
事実、文章を書いて生計を立てている。
安定しているとは言い難いが、まさか本当に文章を書いて生活できるとは、10代、20代(大学在学中)ですら思わなかった。…人生とは、不思議だ。
ただ、大学では良い授業もあったが、本当に刺激的(エキサイティング)だったものはごくわずかで、後はだいたい自分で勉強していた、という感じだ。
そんなふうにして自分が卒業したのは文系の学科だ。
そして、文系の学問の「限界」を目にすることができた。
それは、本当に意義のあることだった、と思っている。
ただし、今の興味は理系のほうに向いている。
3.
文系の学問とは、一言で言えば「実存主義的」な立場から、世界を見て、表現する。
一種の人間中心主義と言えば良いのか。
その立場は結構大事なのだが、今の社会にとってはあまり役に立たないものになっている。役に立たない…というか「文系の学問は、すでにある程度のゴールに到達している」と自分は思うのだ。
そのゴールはほぼ全て「広告」という分野に集約・フィードバックされて、それ以外の分野の有用性はほとんど無くなっているのが現状かと思う。
法律や政治の分野は…正直あまり興味がない。少なくとも、その現場で働きたいとはあまり思わない。
一方、理系の学問とは、一言で言えば「構造主義的」な立場から、世界を見る。
こちらの分野にはたくさんのフロンティアが残されているし、ことによると、人類全体の生活を大きく変える可能性も持っている。
そう考えると、理系分野のほうが遙かに楽しそうだ、という気がしてくる。
少なくとも「一生楽しめそうだ」という気がするのだ。
自分は漠然と、ずっと文系な頭で一生を送るように思っていたのだが、現段階では、どう考えてもそういうビジョンは思い描けない。
30歳から、こんなに大きな方向転換を迫られるとは。
……実は、自分は昔から数学や科学、機械などが結構好きだった。しかし、親が理系の職についており、それに反抗するかのごとく、文系を突き進んでしまったわけだ。
まあ、ありがちなことである。
しかし、今冷静に考えると「自分が進むべき道はこっちではないかも」と感じられるのだ。このまま、こちらを突き進んでも、何もないような気がしているわけ。
4.
なんだかいろんな意味で「30歳」はターニングポイントになりそうだ。
……正直、自分でも「行き当たりばったりだなあ…」と少々情けなく思うが、しかし、こういう歩み方しか出来ないのが自分らしい。そして、そんな「行き当たりばったり」でも(今までは)案外、そこそこうまくいっているのが、また不思議に思う。
そして、そんな寄り道の途上で、心に残る多くの経験や思い出を得たことも、また事実だ。時には「そんなの無茶だ」「やめておけ」といわれたこともあるが、結果としては、自分の思うようにしたことが、正しかった。
自分を心配し、気にかけてくれる方のアドバイスはありがたいが、それが正しいケースはあまり多くない。だって、その人はアドバイスをしただけで、決して自分の人生に責任を取ってくれるわけではない。他者の言葉を真に受けすぎて、責任転嫁や「恨み」を抱かないためにも「結局は自分が重いとおりにやる以外ないのだ」ということは、かなり早い段階から自覚していた。
5.
それならば。
しかるべき準備を本格に進める必要がありそうだ。
思えば、長いモラトリアムをやっている感覚もある。……本当に、今の時代に生まれてなかったら、自分はどうなっていたんだろう…。そういう意味でも、かなりラッキーなのかもしれない。というか、やはり日本はある程度恵まれた環境ということだろうか。
まあ、仮にまた大学(もしくは大学院)に入るのだとすれば、学力が圧倒的に足りないわけで。その辺もどうにかしなきゃいけないな。
なんかすごくしんどい生き方だが、もともと、一般的とは言える生き方はしていないので、仕方ないか…。
まあ、1つの可能性として、よく検討しようと思う。
6.
ちなみに厚切りジェイソンさんは「「これ、おもしろそう!」と思ったものをやればいいんですよ。みんな「やりたいこと」を重く捉えすぎている。」と言っています。
「なんか変な外国人だなあ」と思っていましたが、意外にまともなことを結構言っていますよね。
特に、年齢を重ねると「人生をかけてできるか…!」みたいに深刻に考えてしまいがちですけど、ちょっと注意しないとダメかもしれないな。
おもしろそう!やりたい!→やる。
この「シンプルさ」と「軽さ」が、案外正解なのかもしれないですね。