「障害者施設での殺傷事件って…」という話
1.
多くの方が衝撃を受けただろう。
個人が起こした殺人事件としては、平成最悪、戦後最大クラスではないだろうか。
新聞やニュースを見るが、やはり、まともに論じている(核心に迫っている)論説や意見は見当たらない。
自分が子供の頃には、オウムや少年Aの事件が起きて衝撃を受けたが、ある程度年齢を重ねてくると「またか…」という感覚も否めない。
もちろん、被害に遭われた方は本当に気の毒で、なおかつ、こんなことが起きてしまうことは許せない。
しかし、実際にこういったことは起きてしまう。
なぜか?
私たちは誰でも、何かを、誰かを、物理的に傷つけ、破壊することが可能だからだ。
私たちに2本の腕があり、武器の仕組みや構造を理解できる頭がある。
可能性の領域では、誰もがいつでも凶悪事件を起こすことができるのだ。
この力を国家間の戦いで転用するのが戦争だ。
戦争になれば、いち農民、洋服屋、写真屋、豆腐屋など、普通の善良な人が、殺人を犯す。
これは、70年前の日本で実際に起きたことだ。
世界には、今でも普通の人が(幼い少年兵なども含めて)戦いに参加したり、殺されたりしている。
そして、そんな国・環境では数十人単位で死ぬことも日常なので、いちいち報道されないケースもある。逆に言えば、日本ではこんなことがレアケースだからこそ、大きく報道されるわけだ。もちろん「だから、結果日本は平和だよね」みたいなことを言いたいわけではない。
2.
自分は思うのだけれど、ある状況下に置かれたとき「人を殺せない人間」よりも「殺せる人間」のほうが多いのではないか。
ただし「殺すことが楽しい」といったような快楽殺人気質を持っていない人にとっては、やはり大変な心理的ストレスなので、自分を騙すだけの強固な理由が必要になる。
「家族のため」「国のため」「世界平和のため」「より良い世界のため」…。
今回逮捕された26歳の男は「障害者がいなくなれば経済も上向いて、日本が良くなる」みたいなことを考えていたらしい。
たぶん、自分のもやもやに対して、手っ取り早く仮想敵を作っただけだろうけど、これは一般論としても間違っている。
障害者の方々も軽度であれば、現に立派に働き、生産活動の一翼を担っている。
とても丁寧によく働くので、積極的に雇用するケースも広がりつつあるようだ。
つまり「障害者がいなくなれば経済も上向いて、日本が良くなる」というのは全くの的違い。むしろ、より積極的に雇用する体制を整えたほうが良いくらいの話なのだ。
それに、私たちは年を重ねれば、誰もが「障害者」になる。
障害の重い方々も、できる限りベストな状態で生を全うする権利があり、それは「人権」と呼ばれる。良い悪いは別にして、人類は「人権」の獲得までに何万年も(石器時代なども含めれば)かかった、ということを忘れてはならない。
このように「障害者をなくせば…」というのは、全く間違った「思想」だが、男にとっては「自分自身を騙すだけのイデオロギーのようなものは構築できた」ということだろう。
(その旨を手紙にしたため、衆議院長に送ったようである)
つまり。
彼は我々の理解を超えた異常者ではなく、ただの臆病な、普通の1人の男だったのだ。
殺人に理由を求めてしまう、理由が無ければ正気を保てない、そんな弱い男だったのだ。
そして、そんな「彼に似た人」は、おそらく私たちのごく身近にいる。
職場や学校で机を並べたり、友人の紹介で一緒に食事に行ったり…。
そんなふうにして出会う可能性が、いくらでもある。
間近に接すると「少し我が強くておかしなことも言うけど、まあ普通の人」といった感じではないか。
結局のところ、この男の動機は「単なる逆恨みの類い」に思える。
男は大麻を吸っていたようで、それによって逆恨みが誇大妄想にまで膨らんだ可能性は高い。
ただ、大麻解禁が少しずつ議論されており、また、一概に危険視できるものではない(医療用ほか)ため、今回の事件がねじ曲がって引用されなければ良いが…とは思う。
3.
男が事件に走った「ターニングポイント」と思われる出来事がいくつかある。
・学校教員を目指したが挫折。(親が教員だったので、かなり挫折感を深めた可能性も)
・大学卒業後、企業に勤めるが退職(自主退社?)
・事件の舞台となった、障害者施設を実質「クビ」に。(3年間勤めたが今年「クビ」に)
・今年に措置入院。しかし、わずか2週間足らずで退院。
…事件は、この4ヶ月後に起きた。
これは、典型的な「アノミー」の状態だ。
経済学者・小室直樹氏の言葉を借りれば「社会的な連帯からこぼれた、無秩序な状態」である。
男は、職場、将来への展望・希望など、社会的なあらゆるつながりから切り離された「糸の切れた凧」のような状態に陥った。
このような状態下で、人は狂う。
例え措置入院であっても、男は社会から認知され、気にかけられ、できれば心配されてたかったのではないか。
しかし、それですら2週間足らずで「放り出された」。
男は、社会は自分を助けてくれない、自分の存在に気づかない、居場所がどこにもない、と感じたかもしれない。そして、極端なところに行ってしまう人に限って「助けて」の一言が言えなかったりする。(ただ、この男の場合は、かなり歪んだ形でSOSを発信したが)
4.
事件に「理由」をつけるのは簡単だ。
しかし、起こってしまったことについては取り返しがつかない。
こんな時、言葉の無力を痛感する。
「行政が悪い」「警察が悪い」「教育が悪い」…そんなふうに責任転嫁することは簡単だが、これもやはり的外れだ。
たぶん、私たちの社会そのものが「アノミー」(無秩序状態)なのだ。
もはや、社会の側から連帯や共同体を提供する、ということができなくなっている。
これは、高度経済成長を経た「自由な国」に共通だ。
だから、私たちは「アノミー」(無秩序状態)を個々人でサバイブし、居心地のよい環境や生き方を自らクリエイトしなければならない。その「自由」はある。
「自由」とは、本質的に「かなりしんどい」ものなのである。