報道特集「どう防ぐ 少年たちの再非行」を見た感想の話
1.
自分はドキュメンタリーが好きで、テレビを見るときは、大体その分野を見る。
今日も仕事をしながら、何気なくテレビを付けたら「報道特集”どう防ぐ 少年たちの再非行”」というのがやっていて、ついつい見てしまった。
少年犯罪の件数は低下しているものの、犯罪を犯す少年の再犯率は高いそうだ。
番組を見た感想として率直に感じたのは「再教育の効果って、どれくらいあるのだろう?」というもの。
もちろん、少年院での再教育が胸に響いて「ああ、もう悪いことはやめよう」という子もいるだろうから、全くムダだとは思わない。
しかし、前に読んだ橘玲氏の本の内容が、どうしてもひっかかってしまう。
この本によれば「犯罪は環境と言うよりは遺伝の要素が強い」とのこと。実は、再犯率もここに関係しているらしい。(凶悪犯罪だけだったかな?)どれくらい信憑性があるか疑問だが、論拠も挙げられており、興味深かったことを覚えている。
実際に、暴力的な家庭や、貧困家庭など、大変な環境で育っても、犯罪などとは無縁の子もいる。
例えば、生まれた時から少年兵として育てられる…とかだとまた話は違ってくるのかもしれない。しかし、大変な子供時代を過ごしながら、ちゃんと生活している人は、自分の身近にも多い。
自分にしたって、ホラー映画やゲーム、怪談などが好きだが、アブノーマルな気などない。実際の血などはかなり苦手である。(情けない…)
2.
このように「分かりやすい因果関係」は納得しやすい。しかし実は、そんな因果関係などなくて、身もふたもない「不都合な真実」が隠されている…そんな事柄が結構多いのではないかと思う。
「暴力は連鎖する」というが、それが環境ではなく、遺伝に起因しているとしたら…。
はっきり言って「再教育」など無意味なものになってしまう。
しかし、逆に言えば、遺伝がその人の性質をある程度決めているのだとすれば「本人の努力」「自己責任」を迫るのは、フェアじゃないし、不可能ということになる。そこは社会がサポートすべきかと思う。
このような事実を認めた上で、どうするべきか考えたほうが建設的ではないだろうか。
(ただし、ロボトミー手術のような、人権無視の方法だけは絶対に避けなければならない)
でも、建設的な議論はできていない。
近代法の原理では「責任のよりどころとしての個人」が重要なポイントになっているし、資本主義の究極原理の1つが「自己責任」だからである。
「精神的な問題があれば、(責任能力なし、と判断されれば)これを罰せず」というのはあるけど「遺伝的な問題があるからこれを罰せず」と言ってしまうと、事実上、この世から「故意に悪いことをした犯罪者」がいなくなる。刑法の意義の根本的な改変が求められ、とてつもなく大変なので、たぶんまだ本気で議論されていないのだろうと思う。
3.
あと、やっぱり「居場所」の問題は大きく関わっているのかな、とかは思う。
少年院の中は不自由だけど、3食出て、お風呂にも入れる。
それで規律正しい生活もできる。
積極的に捉えれば、ある種かなり心穏やかというか、快適な面もある生活ではないか。
おまけに、刑務官や少年院の仲間がいるから孤独ではない。
再犯する少年の何%かは、そこがかけがいのない「居場所」になっている可能性もあるのでは?
事実、社会に出て自分と気の合う人間を探すよりは、自分と同じく犯罪を犯した人間のほうが深い話ができる(というかわかり合える)だろうし、そんな人たちを長年見て来た刑務官に対しても、ある種の安心感(信頼感?)はあるのではないだろうか。
そんな「居場所」を求めて、無意識のうちに舞い戻ってしまう…。
そういったこともあるだろう。
なんとも皮肉な話だけど…。
4.
世の中の問題はきれい事だけじゃどうにもならないから、大変だよなー、と思う今日この頃です。
さて、仕事仕事。