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30歳からのブログデビュー

アラサー男があなたに贈る現代版「徒然草」(つれづれぐさ)

マナーってなんだろう? という話

1.

こんなニュースがあった。

 

 

headlines.yahoo.co.jp

 

電車マナーを巡って口論となったらしい。

 

優先席をめぐり、お年寄りと男性が口論になったとのこと。

 

お年寄りには「高齢者へは席を譲ってしかるべき」という「正義」がある。

しかし男性にも言い分がある。ツイッターにこう投稿したそうだ。

 

「私は優先席を譲りません!!なぜなら先日、今にも死にそうな老人に席を譲ろうとしてどうぞと言ったら『私はまだ若い』などと言われ、親切な行為をした私がバカを見たからです。今後とも老人には絶対に譲りません」

 

…つまり、男性にも一応「正義」がある。

 

2.

 

実際に、若い人でも、外見ではわからない重篤な障害を抱えている可能性がある。

また、自分の知り合いは、過重労働で血を吐き、入院した。まだ若い方ではあるが、一般的な高齢者よりも、明らかに「優先席に座らなければならない人間」だと思う。

 

シチュエーションは様々だ。

一概に何が正解とは言えない。

 

小さな衝突だが、「正義」と「正義」が衝突すると、話は平行線で、なおかつロクな結果にならない、というような一例と感じる。

 

3.

 

この問題の解決は、決して難しくない。

 

女性専用車両」と同じく「高齢者専用車両」を作ればいいのだ。そして「高齢者専用車両」は座席だらけにすればいい。資金面については、一般の大人料金に、プラス100円〜数百円程度にすればよいだろう。

 

自分を高齢者だと思わないアクティブな方は、一般車両に安く乗る。

 

もちろん、そのような方々は「席を譲れ」などとごねることもない。

 

4.

 

もちろん、お金を使わない解決方法もある。

 

「思いやりのある丁寧な言葉で話すこと」だ。

 

「すみません。腰が痛くてたまらないので…申し訳ありませんが、席を譲って頂けないでしょうか?」

 

この一言が言えれば、男性の対応も違っていたのではないだろうか?

 

5.

 

コミュニケーションを「コミュ力」などと呼び、ビジネスや就活でだけ役立てようとする人も多いかもしれない。

 

けれど、コミュニケーションとは究極的には、

「自分が絶対ではないことを知り、謙虚に相手の気持ちを知る努力」以外の何ものでもない。

相手を思い通りに操作することではない。

 

仮に「高齢者専用車両」を作ったとしても。

ある意味では、考え方を変えていかないと、意味がない。

トラブルの種なんて、いくらでもあるのだから。

世界を見に行く…青年の末路

1.

 

コロンビアで、日本人青年が殺害された。ご冥福を祈りたい。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

命は平等であるし、尊いことに変わりはないけれど、国によってはそれが簡単に失われることがある。

 

 

2.

 

実は、コロンビアは、世界有数の治安の悪さだ。

 

殺人件数:14883件/年(1日に41件)
南アメリカ大陸の北に位置するコロンビアは、麻薬製造とその密売で悪名高い国である。
また、スペイン人系統の裕福な人とコロンビアのほとんどを占める貧民との間で、誘拐や強盗事件などが多発している。
1990年代には、誘拐と殺人の件数は年間30,000件を超えたが、そのうち97%は処罰を受けなかった。

 

(治安の悪い国)世界で最も殺人発生率が高い国ランキングトップ25 | ailovei

 

 

コロンビアには麻薬組織やテロ組織、マフィアが存在し、警察ですら、殺害や誘拐のターゲットになることが珍しくない。そして、警察そのものにも賄賂や汚職がはびこっていた。現在はどうか知らないけれど…。このように警察機能がマヒしている国も少なくない。

 

コーヒーの名産国であるため、意外に感じる方も多いかもしれないが、日本では一生遭遇しないような危険な目に遭う確率もかなり高いのだ。

 

「世界を見に行く」という若き青年の志は素晴らしい。

 

しかし、これから海外へ行かれる方は、きちんと危機意識を持っていくべきだ。

 

…今はネットがあるので、最低限、大使館や外務省からの情報をチェックし、治安レベルやテロレベル、犯罪件数や、外国人がよく遭遇する被害などを確認しておく。できれば、近年邦人の身に起きた事件のニュースも調べるといい。

 

そして、それらの犯罪に遭うリスクをよく考慮した上で、心配ならば、渡航しないという選択も英断だ。結局、自分の命を守れるのは、自分自身だからだ。

 

どうしても危険な国に入るならば、信頼できるガイドやコーディネーターに同行して貰う、あるいは雇うこと。

 

「君、ダメだよ。電子機器なんか手に持ってたら。盗まれるよ。しまいなさい」

 

「盗まれても追いかけるな。命のほうが大事でしょ?」

 

…そう言ってくれるガイドやコーディネーターがいれば、彼は亡くならずに済んだのだ。いたたまれない。

 

3.

 

自分は「家に帰るまでが遠足」という言葉が好きだ。

 

すべての旅行者は、この言葉を胸に刻むべきだと思う。

さようなら24時間、の話

1

 

ロイヤルホストが24時間営業を廃止するという。また、飲食業界では異例ともいえる定休日の導入も検討しているとか。

 

 

www.asahi.com

 

自分の地元には、24時間営業の喫茶店やファミレスが、徒歩圏内に2つ、車で行ける場所なら5個程度思いつく。

 

一方、旅をして地方や田舎に行くと、24時間営業の喫茶店やファミレスが1つあればいいほうだ。でも、別に困らない。

 

2.

 

20代の頃を思い返すと、夜型で、徹夜で仕事をしたり、締め切りに追われて深夜まで仕事をせざるを得ないケースも多かった。

 

そんな時は深夜営業のファミレスに行って、一晩中PCとにらめっこしたりした。

 

でも、30代になると仕事が管理できるようになり、あえて夜に仕事をしなければならないことも減ってきた。もちろん、体力的に、夜仕事をすることがきつくなって来ているわけで…。

 

最近言われ始めたことだけど、日本の企業は、少々「サービス過剰」なのではないかと思う。 これは素晴らしいし、日本ならではの長所だと感じるけれど、やっぱりそこで金銭的な見返りが発生してしかるべきだと思う。

 

よく、今後の社会や企業のあり方として持続可能という言葉が使われるけれど、これはつまり「無理をしない」ということだ。

 

仕事をしたり、あるいは社会を運営する以上、ある程度一人一人が頑張ったり、気を付けなければならないこともある。

 

しかし、それが報酬に繋がらなかったり、長続きできないほど無理をしなければならないならば、そもそも 運営体制が間違っているということだ。

 

ただ、社内体制がきちんと設けられていても、進んで残業してしまったり、自ら過酷な労働環境に追い込んでしまう人が少なくないようだ。

 

その根底には、「苦労すれば報われる」という美しい理念(思い込み)があるのではないか。

 

3.

 

かなり頑張っても、逆に結構手を抜いても周りの人と同一の賃金がもらえるアルバイトや、それに近い形で働くサラリーマンの方にはわかりにくいかもしれないけれど…

 

「苦労や頑張り」と「報酬」は、実はあまり結びつかない。

 

報酬は「生産性」と言い換えてもいいかもしれない。

 

こんなエピソードを聞いたことがある。

 

ある部署で、定期的にデータ整理をする期間があり、その時は数人の社員が1日中その仕事に従事しても、計1週間〜10日もかかっていた。

 

しかし、とある新入社員がパソコンに強く、自分でプログラムを書いて仕事を1日で終わらせてしまった。

 

普通に考えれば、その新入社員は、全員から称賛されるはずである。けれど実際には、先輩たちからのひんしゅくを買い、不評だったそうだ。

 

その先輩たちからすれば、何年もこの仕事をやってきて、かなり上達しており、自信を持っていたはずだ。とてつもなく大変な仕事なので、もちろん苦労しただろう。

 

しかし「たった1人の新入社員が自分の積み重ねてきた苦労や評価を台無しにしてしまった」…そんなふうに感じたのではないだろうか?

 

でも、会社全体、あるいは社会全体の利益から考えれば、プログラムにできる仕事はプログラムに任せてしまったほうがはるかに効率が良い。ほかの人たちは、それ以外の仕事ができるのだから、全体ではより多くの仕事ができるはずだ。

 

4.

 

「苦労・頑張りと報酬が結びつかないこと」が認められない、頭の固い人にとっては、「仕事は大変なもの」である。

 

逆に言えば、「自らの仕事を効率化して生産性を上げる」という最も大切な仕事を怠けているともいえる。

 

頭の固い人が1人や2人ならいいけれど、社員が競い合うように苦労や頑張りを最も重視するようになり、仕事の効率化をなるべくしないように努力し始めたら……その会社に未来はないだろう。

 

(いわゆる「社員のがんばる姿を評価する」みたいな体育会系の会社と取引させて頂いたこともある。しかしその多くが残念ながら、クライアントと上司に振り回され、社員が鬱や体調不良で辞めていったり、最悪の場合には潰れるケースも目にした…。)

 

過労死をなくすために残業を強制的に禁止したり、お店の営業時間を減らしたりすることは良いことだろう。

 

しかし「その分しっかりと効率を上げる」ということを真剣に考えていかないと、結局は悪い結果をもたらすことになるでしょうね…。

年金を頼るか、それとも…の話

1.

 

年金の受給資格が10年に短縮されるという。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

これは、親切と言うより、年金を払っていない人間に「10年だったら払おうかな…」と思わせるためなのではないかと思う。

 

たぶん、手っ取り早く金が必要なのだろう。

 

これがきちんと運用されるのか、あるいは、お金を集めるだけ集めて「やっぱり受給できませーん」となるのか…気になるところだ。

 

2.

 

でもまあ、年金頼りの将来設計は、ちょっとどうかなあ、と思うのが、正直な感想だ。

 

311の賠償問題もあるから、国の財政、というか国民の財政は大丈夫?と不安になってしまう。

 

とりあえず、しっかり稼いで、あとは資産運用でもするかな…30歳だから、年齢的にはちょうどいいよなあ。

禁煙化が進む…文系と理系の違い…など雑多な話

1

 

これまでタバコが吸えたファミレスが完全禁煙になったり、あるいは、曜日や時間帯によっては吸えなくなってきている。

 

残念だけど、時代の流れというやつだろうか…。

 

考えれば、禁煙化は今に始まったことではない。

 

駅で吸えなくなり、路上で吸えなくなり、それでファミレスでも吸えなくなり…

 

しまいには、喫茶店でも吸えなくなるかもしれない。

 

 

もちろん、日本の場合には2020年のオリンピックがあるわけで、特に東京や、その他の観光地ではどんどん厳しくなっていくだろう。

 

タバコの値段も上がってくる予定なので、どうしようか…という感じである。

 

不便で、なおかつ不経済な感じになってくると、やはりタバコをいつかはやめなくてはならないのかもしれない。

 

その代わりに大麻が解禁されたりするのだろうか?

 

うーん…それってどうなんだろう。

 

2

 

こんな感じで世の中がどんどん変わっていく。

 

だから、自分もそんな時代を横目でみながら、いろいろ考えて、先々のことを考えなくてはいけない。

 

とりあえず、今年〜来年いっぱいは日本各地をいろいろ旅してみる。

 

 

と、同時にやはり勉強したいという気持ちが強い。

 

その場所が大学なのか、大学院なのか、もしくはもっと別の場所なのか…まだよく分からないけれど。

 

…正直なところ、大学は「ただ単に、純粋に勉強しよう」という気持ちで入学した。

そもそも何がしたいかもよく分かっていなかったのだ。

(文章を書くのが好きなので、作家か研究者にでもなろうか…とは思っていたが)

それで「勉強する」という目的はある程度達成することができた。

 

今のところ、それが糧になっているし、ある程度役に立っているとは思う。

事実、文章を書いて生計を立てている。

安定しているとは言い難いが、まさか本当に文章を書いて生活できるとは、10代、20代(大学在学中)ですら思わなかった。…人生とは、不思議だ。

 

ただ、大学では良い授業もあったが、本当に刺激的(エキサイティング)だったものはごくわずかで、後はだいたい自分で勉強していた、という感じだ。

 

そんなふうにして自分が卒業したのは文系の学科だ。

そして、文系の学問の「限界」を目にすることができた。

それは、本当に意義のあることだった、と思っている。

 

ただし、今の興味は理系のほうに向いている。

 

3.

 

文系の学問とは、一言で言えば「実存主義的」な立場から、世界を見て、表現する。

 

一種の人間中心主義と言えば良いのか。

 

その立場は結構大事なのだが、今の社会にとってはあまり役に立たないものになっている。役に立たない…というか「文系の学問は、すでにある程度のゴールに到達している」と自分は思うのだ。

 

そのゴールはほぼ全て「広告」という分野に集約・フィードバックされて、それ以外の分野の有用性はほとんど無くなっているのが現状かと思う。

 

法律や政治の分野は…正直あまり興味がない。少なくとも、その現場で働きたいとはあまり思わない。

 

 

一方、理系の学問とは、一言で言えば「構造主義的」な立場から、世界を見る。

 

こちらの分野にはたくさんのフロンティアが残されているし、ことによると、人類全体の生活を大きく変える可能性も持っている。

 

そう考えると、理系分野のほうが遙かに楽しそうだ、という気がしてくる。

 

少なくとも「一生楽しめそうだ」という気がするのだ。

 

 

自分は漠然と、ずっと文系な頭で一生を送るように思っていたのだが、現段階では、どう考えてもそういうビジョンは思い描けない。

 

30歳から、こんなに大きな方向転換を迫られるとは。

 

……実は、自分は昔から数学や科学、機械などが結構好きだった。しかし、親が理系の職についており、それに反抗するかのごとく、文系を突き進んでしまったわけだ。

 

まあ、ありがちなことである。

 

しかし、今冷静に考えると「自分が進むべき道はこっちではないかも」と感じられるのだ。このまま、こちらを突き進んでも、何もないような気がしているわけ。

 

 

4.

 

なんだかいろんな意味で「30歳」はターニングポイントになりそうだ。

 

……正直、自分でも「行き当たりばったりだなあ…」と少々情けなく思うが、しかし、こういう歩み方しか出来ないのが自分らしい。そして、そんな「行き当たりばったり」でも(今までは)案外、そこそこうまくいっているのが、また不思議に思う。

 

そして、そんな寄り道の途上で、心に残る多くの経験や思い出を得たことも、また事実だ。時には「そんなの無茶だ」「やめておけ」といわれたこともあるが、結果としては、自分の思うようにしたことが、正しかった。

 

自分を心配し、気にかけてくれる方のアドバイスはありがたいが、それが正しいケースはあまり多くない。だって、その人はアドバイスをしただけで、決して自分の人生に責任を取ってくれるわけではない。他者の言葉を真に受けすぎて、責任転嫁や「恨み」を抱かないためにも「結局は自分が重いとおりにやる以外ないのだ」ということは、かなり早い段階から自覚していた。

 

5.

 

それならば。

 

しかるべき準備を本格に進める必要がありそうだ。

 

思えば、長いモラトリアムをやっている感覚もある。……本当に、今の時代に生まれてなかったら、自分はどうなっていたんだろう…。そういう意味でも、かなりラッキーなのかもしれない。というか、やはり日本はある程度恵まれた環境ということだろうか。

 

まあ、仮にまた大学(もしくは大学院)に入るのだとすれば、学力が圧倒的に足りないわけで。その辺もどうにかしなきゃいけないな。

 

なんかすごくしんどい生き方だが、もともと、一般的とは言える生き方はしていないので、仕方ないか…。

 

まあ、1つの可能性として、よく検討しようと思う。

 

6.

 

ちなみに厚切りジェイソンさんは「「これ、おもしろそう!」と思ったものをやればいいんですよ。みんな「やりたいこと」を重く捉えすぎている。」と言っています。

 

townwork.net

 

「なんか変な外国人だなあ」と思っていましたが、意外にまともなことを結構言っていますよね。

 

特に、年齢を重ねると「人生をかけてできるか…!」みたいに深刻に考えてしまいがちですけど、ちょっと注意しないとダメかもしれないな。

 

おもしろそう!やりたい!→やる。

 

この「シンプルさ」と「軽さ」が、案外正解なのかもしれないですね。

宮崎駿から考える「仕事」の話

1.

 

ジブリポッドキャストで、鈴木敏夫プロデューサーが「宮崎さんは、70過ぎてからデジタルの勉強をして、新しい方法論でゼロからアニメを作り始めている」というようなことを語っていた。

 

「本当かよ?」とその時は感じたが、NHKの番組を見たら、どうやら本当らしいことが分かった。

headlines.yahoo.co.jp

 

短編では飽き足らず、この調子だと長編映画が出来てしまうようだ。

 

宮崎氏は現在75歳で、映画完成時(出来上がるならば)ほぼ80歳という年齢である。

 

「引退する」とはいったものの、やはり時間が経つと作りたくなる。

 

長年ものづくりをする人は「血が騒ぐ」のだろう。

 

2.

 

私たちの多くは、そんな仕事に就いていないし、就くことができない。

 

売れない画家、ミュージシャンなどもたくさんいるし、通常は「好きなこと」と「食い扶持」は一致しない。

 

しかし。

 

21世紀の大きな特徴だと自分は思っているのだけど「個人が自分で仕事を作りやすい時代」に今はなっていると思う。

 

ユーチューバーとか、あるいはメイカーズとか。あるいは、インターネットに販路を見いだして、趣味から「仕事」に格上げとなった例もある。

 

これは本当にスゴいことだ。

 

でも、さらに「しかし」。

 

 

テクノロジーは「才能がありながら埋もれていた人」を発掘し、その人が作り出す"何か"を、個々人の手に届けることを可能とした。

 

しかしそれは「本当に人の心にヒットできるもの」を提供できる人を引き上げるだけで、元々何もない人に、何かを与えてくれるものではない。

 

その意味では、テクノロジーはあくまでもテクノロジーで、結局のところ「作り手=人」が重要なことに変わりはない。宮崎駿でなくても、デジタル機器の使い方を覚えることはできるが「彼が持っている世界観やセンス」まで手に入るわけではない。

 

テクノロジーはその意味で万能ではない。

 

0に100をかけたって、「0」なのだ。

 

3.

 

だけど。

 

自分は全ての人に、何かしらの「1」があると信じている。

 

それが見つかるかどうかで、たぶん人生は大きく変わってしまう。

 

その「1」が、社会の役に立つとは限らないが「ちょっと人より面白い」「ちょっと気が利く」「なぜかこれだけは好きでたまらない」とか、その程度のことでもバカにしないで向き合うことが必要ではないかと感じる。

 

4.

 

やることが何もない老後は悲惨だ。

 

自分の身近にはそういう人たちがいる。

 

彼らは立派で、家庭を持ち、子供を育て、仕事を勤め上げた。

 

しかし。

 

なぜ、そんな「立派な人たち」が、老後に何もやることがないのだろう?

昔ほどではないにしても、一応5体満足なのに、1日中テレビを見て終わったりしている。

 

そのことに誰も文句は言えないし、自分だってそのつもりはない。

 

でも「外から要請されるもの」(仕事、結婚、子育て…)だけで「誰からも文句の言われない人生」を送ると、こんな老後が待っているのか……などと思ってしまう。

 

5.

 

前に、このブログで「自殺者数」の話題を取り上げたけれど、その内訳では圧倒的に無職の人が多いと聞いた。

 

これが本当だとしたらかなり悲惨だ。

 

今までは、社会が「これをやりなさい」と与えてくれたけれど、今ではその1つである「仕事」にすらありつけない人が出てきて、絶望して命を絶ったりするわけだ。

 

「仕事がない」と、社会から必要とされていないような感じがするだろう。就活に失敗してひどく落ち込む人も同じかと思う。実際、かなりキツいだろう。

 

しかし「仕事がなくなったら何もない」という状態はかなり危険ということができる。

 

生活保護もあるのだから「物理的に食えなくて死ぬ=餓死する」というわけではなく、心が死ぬのだ。

 

それでたぶん、そんな状態でかろうじて持ちこたえるためのセーフティーネットとして「1」を見つけておく必要があるのではないかと思う。これが「0」だと、たぶん耐えられない。

 

6.

 

できるだけ多くの人が「1」を見つける生き方にシフトしていかないと、たぶんこの先かなり大変なことになってくるような気がする。

 

全員が宮崎駿を目指す必要はないけれど、オンリーワンな生き方はそれぞれ模索する必要があるかと思う。

 

うーん、それなりに、結構しんどいとは思うけれど…。

 

7.

 

ただ、1個だけハッキリしているのは「1」を探すことは、世間一般で思われているような「自分探し」ではない、ということだ。

 

「自分」は「否応無しに見せつけられるもの(気づかされるもの)」であって、自分自身で発見できることはほとんどない。

 

特に「自分の固有性」みたいなものを発見するのは、ほぼ絶望的と考えていい。

 

だって、みんな赤ちゃんの時と今を比べれば、大きさも容貌も、考えていることも、できることも、何一つ違うわけで。それで、今よりも年齢を重ねたら、さらに変わっていくわけだ。

 

だから、せっかくの時間を「自分探し」に費やすことほど、アホなことはない。それが趣味なら、止めはしないけど…。

 

じゃあ「1」ってなんなのか?

 

それは、周囲の注目を集めたり、自分自身が驚いたり(面白く感じられたり)あるいは、周囲や自分から何らかのリアクションを引き出すようなことではないかと思う。漠然としているけれど、それ以外にうまい表現が見つからない。

 

でも、それが「自分が一生続けたいと思える仕事」の入り口である可能性は、案外高いと思う。限りなく狭く、また先の長い「入り口」ではあるが…。

奨学金で自己破産しないための方法

1

 

現在、奨学金を借りる大学生は、50%以上にのぼるという。つまり2人に1人は奨学金を借りているということだ。そして、奨学金の滞納も増えており、現在33%に上っているとか。

 

www.youtube.com

 

また、経済的な理由で、途中で学業を諦め、大学を辞めてしまう人も多い、というのが自分の実感だ。大学時代、自分の身近な人だけで、5人くらい中退した。あるいは、途中から大学に来なくなったり、留年している人も多かったので、結果的に10人くらいは中退したのではないだろうか?

 

…よっぽど暇な大学なら可能かもしれないが、普通は、勉強しながらそれなりにアルバイトも入れてという生活を4年間も続けることは難しい。

 

自分は、幸か不幸か就活をやったことがないが、早ければ大学2年から3年の段階で、就活の準備が始まるという。はっきり言って、何のために大学に行っているのか分からないのではないだろうか。自分としても、そんな現状を考えてみると、どうしてもそう思えてしまう。


2

 

現在は、ネームバリューのある大学に行くか、確実に役立つ知識や技能を身に付けられない限り「大学に行くことが負債となる時代」がやってきたわけだ。

 

その意味では、大学教員になるつもりでもない限り、特に「文系の学科」に行く意味はほとんどないと言えるだろう。 ただ、理系の研究者も、研究費などの面でかなり厳しい生活を強いられる方が多いようなので、 いずれにしても、かなり先々のことを考える必要があるかと思う。

 

特に、 上京したり、一人暮らししなければならない若者は、本当に大変だと思う。

 

3

 

なお、学生支援機構も現状を受けて、どんどん強硬策を取るようになっている。 なんと、国の運営機関(文部省所管)でありながら、消費者金融のようなやり方をどんどん取り入れているのだという。

 

現在の日本は、「子供でいられる時間」がどんどん短くなっているのかもしれない。 きちんと、保護される環境がなければ、安心して学業をすることもできないし、あるいは文化(若者文化、サブカルチャー)を育んでゆくこともできない。

 

私たちの世代は、団結という点では前の世代のよりも弱く、また、苦手であると思うが、もう、そうも言ってられないのではないかという気もする。

 

あえて言い切ってしまうけれど、自分たちよりも上の世代の人たちには、私たちの現状や苦しみはなかなか理解してもらえていない。それは、年齢が開くほどに顕著になってくる。

 

おじいさん・おばあさん世代は、「正社員になって、家と車を買い、結婚して、子供を育てる」ということをやっていない人たちのことが、ほとんど理解できない。

 

終身雇用があり、高度成長経済成長期を過ごした高齢者は、昭和の古い常識の中にある。

 

あるいは、もう少しマシではあるが、バブルを経験した私たちの親世代も、現在の若者が置かれている状況をあまり理解できていない部分があると感じる。


4

 

自分に何かできることはないか、と思う。

 

だからこそ、こんなブログを書くのかもしれない。たった1人か、2人でもいい。この文章を読んだ若い人たちが考えるきっかけになればいいと切に願う。

 

もしも大学にいきたいと考えるならば、高校から現役で大学へ行こうなどとは考えないことだ。


(特に、周囲の何人かに聞いてみて、名前がほとんど知られていない大学には行く価値がない。大学の価値は、名前や偏差値で決まるわけではないのだが、 割に合わない可能性が高いと考えるべきだ。 はっきり言って、知名度のない大学を卒業しても、就職に有利になるということはほぼない)

 

ならば、2年ぐらいアルバイトをしてお金を貯めながら、どのような進路をとるかしっかり考えてみてはいかがだろうか。

 

その間、別に予備校などに行く必要はないので、図書館などで勉強してみよう。あるいは、ネットのオンライン授業などは、値段が安いこともあるので、それなら検討する価値はあるかもしれない。

 

それで、ある程度知名度の高い大学に行ける学力がついたら、受験すればいい。2年勉強しても学力が上がらない場合には、「食べていける資格の取得」を目指した勉強にシフトしたほうがいいと思う。 あるいは、働きながら資格取得が目指せる職場に就職してしまおう。フリーターは、ダラダラ続けないこと。この段階では、とりあえず大学進学は諦めること。

 

それで、25歳〜30歳位まで働いて、資格も取得して、ある程度生活に余裕が出てくるようになったら。そこで初めて「大学進学」を考える。社会経験がある分、何を学ばなければいけないかということが明確に判断できるようになっているし、社会経験で学んだことを上乗せできるので、 勉強の効率が大幅に上がる。つまり、「大学に進学する費用対効果」が大きく向上するのだ。

 

5

 

頭を使って、よく考えて、時間をかけて判断するようにしてください。

 

誰かが守ってくれるとは限りません。

 

元気で、未来あるあなたから、労働力だけを搾取しようとする人・システムが、確かに存在していることをお忘れなく。