30歳からのブログデビュー

アラサー男があなたに贈る現代版「徒然草」(つれづれぐさ)

脱・メインカルチャー、の話

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メインカルチャー(英: main culture)あるいは主流文化(しゅりゅうぶんか)とは、サブカルチャーと対比して用いられる語で、ある社会で支配的な文化のこと。 文学、美術、演劇、音楽など社会の(主流をなす)構成員が健全な文化として受容するものである。

 

wikipedia

 

メインカルチャーは「究極」を求める。人生の意味とか、世界の真理、魂の救済とか。

 

自分がこれまでに、積極的に受容し、あるいは大学で学んできたものがこのメインカルチャーだ。 それはある程度有効であったと思うけれど、ある年齢に達すると、そこにある種の限界を感じるようになる人も多いのではないか。自分もその1人だ。

実は、このような流れは、個々人の趣味嗜好ではなく、ひとつの文化現象として起きることも珍しくない。古くはルネサンスから、80年代の日本では、メインカルチャーの重さを逃げる(避ける)ような方向のポップ哲学・思想へ。(軽チャーなんていう場合もあるらしい)

 

… ただし、そこで一時的に獲得された新鮮さや軽さは、すぐに権威づけされ、独特の「重み」を持つようになってしまうのだが。

 

例えば当時のニューアカの代表格であった浅田彰は「逃走」をすすめた。けれど、彼の言説は、バリバリのエリート環境をバックボーンに「権威の言葉」で語られていたのだ。

 

逃走論―スキゾ・キッズの冒険 (ちくま文庫)

逃走論―スキゾ・キッズの冒険 (ちくま文庫)

 

 

それで、このように醸成された「空気」を敏感に感じた若きインテリほか、若者達はどうしたか? 一部が、90年代にテロを引き起こした某宗教団体などに入信したわけだ。

 

サブカルが「深刻さ」を扱うと、あるいは「サブカルの皮をかぶったメインカルチャー」であると、それに付いていった人が"大怪我"をする可能性が明らかになったわけだ。


2.

 

30代に突入し、自分は少しずつスタイルを変化させている。

 

早くも「人生の第2ステージ」という気持ちだ。そんな自分にとって、ぜひ実践したいのが「脱・メインカルチャーサブカルチャーへの移行」なのである。

 

サブカルチャーは本来、そのくだらなさ、マイナーさ、(あるいは外見的な無価値さ)が命であり、マイノリティの居場所だ。逆に市民権を得て、社会に広く認められたり、あるいは大学の授業などで扱われるようになったらもう終わりとも言える。

 

…そう考えると、サブカルチャーは「常に発見される(あるいは作られる)もので、まだほとんど注目されていないもの」と言えるだろう。

 

いかにして、重さや権威、冗長さを回避するか。一部のヒップな人たち(死語?)が常に追い求めてきたことだが、自分も30代に突入したので、それをかなり真剣に(だけど深刻にならず)考えないといけない、と思う。

 

そのためにはまず「言葉」(文体)を獲得しなければならない。

自分の言葉はメインカルチャーから多大な影響を受けている。良いところも多いと思うけれど、これが本来の自分の言葉であるのか、という点がとても気になる。

(現在うけている本の大半は、万人にとって使いやすい文体の教科書だからではないかと思っている。ちなみに、多くの作家、作家志望者は「文体の獲得」の段階ですでに頓挫している)

 

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なんか、ちょっと難しい話になったけれど、部屋の片付け、順調です。

 

数年近く敷きっぱなしだったカーペットを処分し、本やゴミを少しずつかたづけています。今月中にエアコンを新しくすることも決めました。

 

それからシンプルに良い机とスタンドライト、そして、部屋に設置するオーディオスピーカー。さらに、緑の植物を…。(余裕があればコーヒーマシンも)

【ちょっと怖い】断捨離依存症の話

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自分の母親なのですが、どうも断捨離依存症なのではないか、と感じるようになりました。

 

自分はいま、部屋の片付けをしています。どちらかと言えば無精な性格なので、細かい片付けなどはあまりやりませんでした。しかし、今回片付けを始めたのは"仕事の効率化"というはっきりとした目的があります。(自営業なので、自室が職場なのです)

 

つまり、自分の片付けは、あくまでも「ゴールのある片付け」なのです。(部屋の完成形がイメージとして浮かんだからこそ、片付けをスタートしました)

 

 

一方、母親の"断捨離"は、ちょっと異常というか、おかしいのではないか、と最近感じます。それは、母親のおこなっている断捨離に「ゴールがないから」です。

 

母親は、部屋が常に完全に片付いている状態を目指しているらしいです。でも、そんなことは不可能。食器だって、服だって出ます。(生きているのだから、当然です)しかし、母親は、それすらもストレスの原因となっているようです。このような明らかな矛盾に取り憑かれているので「大丈夫かな?」と思います。また、最近は自分の家のみならず、実家の断捨離までも(祖父母に頼まれもしないのに)必死でおこなっています。

 

そして、思い返すと、そんな状態がもう数十年にわたって続いているのです。はじめは、単なる潔癖・完璧主義の性格的傾向に過ぎなかったのかもしれませんが、これは、ちょっと異常な事態なのかもしれません。断捨離ブームあたりから、ちょっとエスカレートしてきた印象です。

 

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そんな母親にカウンセリングなどをすすめたほうがいいのか、少々迷っています。

 

良いカウンセラーに当たればいいですが、そうでない場合は単なる経済的な損失につながるのではないか、とも危惧しますが…。

 

ただ、このままでは良くないとは思うのですが…うーん、どうしたものか……。

【片付け報告】③本がどんどん出ています…

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部屋の片付けを進めています。今日も、 本を出したり、掃除機をかけたりなどしました。

 

少しずつ、しかし確実に部屋がきれいになっていってるので、嬉しい限り。今日は、3段カラーボックス丸々1つ分の本(100冊はいかない程度?)が出せました。明日は、ネット買取の引き取りに来てくれる日なので、ちょうどいいかも。

(もちろん、今回1回だけではとても間に合わない本の量です汗) 

 

***

 

明日も片付けをしたいところですが、仕事で埼玉某所に取材にいかなければならないため、できるかどうかわかりません。 

 

それから、続けて某温泉地への取材もあり、数日程度泊まらなければならないため、片付けが中断されてしまうかもしれません…。

 

でも、もう頭の中には、部屋の、最終的な完成形も思い描けているので、 心配はしていません。おそらく、今月末には部屋がおおよそ片付くのではないでしょうか。

 

 

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そうしたら、家具の購入…といきたいところですが、8月に入ってからの方がいいかも。そのほうが、財政的にも安心といえます笑

 

ただ、ベッドはどうしようかな…今のところ、未定です。良質な睡眠は何よりの財産ですから、今回は少しお金をかけてもいいかな、とも考えています。

 

睡眠の質って意識しづらいところではありますが、心身の充実には最も重要な要素の1つかと思いますので、かなり元が取れる投資ではないかと思います。

 

 

 

 

いずれにしても、とても良い部屋になる予定なので、楽しみです!

【片付け報告】②クローゼットの中の整理

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片付けを始めています。今日は2日目です。


今日したことは、前日に引き続き、本の選別が主ですが、クローゼットの中も片付けて、カラーボックスと収納ボックスをセットしました。


5段のカラーボックスに入る本は限られていますが、必要な本だけを放り込んでいくと、案外収まりそうな予感がします。

よく考えれば、一度読んだ本は処分しても問題ないことに気づきました。また読みたければ図書館で借りてもいいし、一時的に古本屋で購入してもいいわけです。 そうすれば、ムダに本が溜まることもないでしょう。



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それからゴミ。部屋が散らかっているときは、どれがゴミで、どれが必要なものなのか判別がつきませんでしたが、片付けるにしたがって、ゴミが大量に出ました。まだまだ出るでしょう笑


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それから今回は、大量の本も出ます。


捨てる以外に仕方がない状態の本もありますが、大半は売る予定。金額的には、あまり期待していませんが、いくらかになるだけでもありがたいのかもしれません。



とりあえず、片付けは順調です!

【片付け報告】①本の選別!

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部屋を片付けています。

 

今日は近所のイケアに行って、デスクや椅子、ベッド、カーテンなどを見に行きました。すでに現在の机、パソコンラックなどを捨てたので、片付いたら買い換える予定です。

 

イケアでは、とても良いデスクが見つかったので、最終的にそれを買うことになると思います。椅子、ベッド、カーテンは未定…。カーテンというか、ブラインドにしようと思っていますね。

 

それで、自分の部屋は壁紙が白で、木目のフローリングなので、最終的な完成形はどこかカフェ風のイメージ。緑の植物と、コーヒーメーカー(エスプレッソマシン?)はぜひ置きたいです。後はライトくらいで、他には何も置きたくありません。本も、小物も、全部クローゼットの中に入れてしまう予定です。

 

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それで、今日からおこなっているのは、本の選別。

 

方法としては、まず、クローゼットの中に、カラーボックスを2列入れます。それで、その2列分に入るのみだけの、本を選ぶことにしました。

 

…現在、自分の部屋には、概算で数百冊の本があります。人にあげたり、整理したりして、この冊数なので、まったく大変です……。でも、選別を終えた時の冊数は100冊前後にまで減ると思います。

 

明日は、なぜか我が家にあるダイソンの掃除機で、自室のほこりを取りまくりたい……のですが、まずは、いらない本をネット買い取りしてもらったり、捨てたりした後じゃないとダメだろうな…。やれやれ。

 

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***

 

まったく脈絡のない話なのですが、今年、宅建の資格試験にチャレンジすることにしました。

 

試験まであまり時間もなく、おまけに自分は知識も皆無なのですが、やれるだけやってみる予定です。これについても、今度、ブログで書いてみたいと思います。

30歳からのお片付け入門

1.

 

部屋が汚い。

 

その理由は大きく3つ。

 

①興味の対象が広い

②本が好き

③実益にならないことはあまりしない

 

①については、趣味の多さ、とでもいうべきか。楽器、アンプ、電子機器などが幅を取っている。……それから、CD、MD。もはや過去の遺物と言えるが、デジタル配信されていないレアな盤もあり、なかなか処理できない。…ぜんぶMP3にしたいけれど、どれだけ時間がかかるのだろう。でも、CD、MDも処理の時期に来ている気がする。

 

②について。本は、本当に幅を取りますよね。読書家の方は分かって下さるはず。近年はkindleでも全然問題ないけれど、やはり、珍しい古書などは売れず。また、古本屋で惰性で買っている本も多数。…どんなに名著・良書と言われていても、本棚に収まったまま1~2年読んでいないということは、やっぱり縁がなかったということなのかも。あるいは"まだ読む時期ではなかった"とか。……そういう本って、いつか読むかもしれないけれど、やっぱり現時点では処分したほうが良い気がする。

 

③について。部屋の片付けって一銭にもならないので、いまいちモチベーションが上がらなかったのです。しかし、30歳を迎えて、やはり一大決心で、部屋を片付けようと決めました。

 

その動機の1つが「旅」です。

 

旅に持って行ける荷物は、極端に限られます。フリーランスの自分は、PC、wifiルータースマホ、財布が必須。というか、突き詰めれば、たぶんこれ以外に必要なものはないのです。(実は多くの人がそうかも)

 

旅を重ねることで、自分に必要な最小単位を知ることができたので、部屋の雑多な物を切り捨てる上での恐怖心が相当和らいだ、ということがあります。

 

自分で言うのもなんですが、部屋が汚いのは、世の中の「片付けられない人々」とは異なると思います。自分の生活の最小単位を知っているので、逆に自分の部屋に無関心だったと思っています。

 

いずれにしても、部屋をかたづける絶好の機会が訪れた気がします。

 

 

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部屋をかたづける上でのポイントとなる品物。自分の部屋では「タンス」と「本(本棚)」です。

 

まず、タンスは安物で、なおかつ古い物なので処分。これだけでも、部屋の圧迫感がだいぶなくなります。

 

次。本については、貴重な古書・専門書以外は売るなり捨てるなりでいいか、と思います。「読みたい本を残す」と考えていると、片づきません。だって、そもそも、読みたいからこそ買った本ばかりなのですから。

 

3.

 

近年は、片付けを「断捨離」等と呼び、精神的なものやライフスタイルに結びつけたり、イベント化している印象です。

 

ただ、ある程度「片付けがライフスタイルやその人の哲学にもつながっている」というのは、当たっている気がします。

 

今回の北海道の旅で、自分は軽装で行ったつもりが、荷物がとても重かった。それで、リュックの中の全てを常に持ち歩く必要があったのか、というと決してそんなことはなかったと思います。

結局自分は、(比喩的な意味でも、現実の意味でも)こういう重い荷物を常に持ち歩いていたんだ、と気づいたのです。考えれば、小学生の頃のランドセルも、中学生以降のリュックも、常に重かった気がします。整理をできないということは、重い荷物を背負わなければならないことなのだ、と気づきました。

 

 

4.

 

これまで、コールマンのリュックを使用していました。

 

今後はそれすらも排し、トートバック1つで行動しようと思っています。そこで選んだのが、Porterのトート。

 

 

 

容量はコールマンのリュックの半分以下、もしかすると1/3以下かもしれません。今後の旅はこれで行くことに決めました。海外ならいざ知らず、国内ならこれで充分だし、充分でなくてはならない、と考えています。

 

それぐらい身軽な方が、気分がいいし、身軽な自分のほうが好きなような気がします。

 

……このような1つの象徴的な決意(?)として、自分は部屋を片づけようと思います。

 

コミュニケーション=「Say Anything」

1.

 

旅をしていると、否応なしにコミュニケーションについて考えざるを得ない。

 

コミュニケーションなしには、宿も、食事も、休息も、情報も、楽しみもないのだから。コミュニケーションが不要になるのは、見知った人に囲まれて、一カ所に定住しているときのみだ。しかし、旅では必然的に、否応なしに"他者"と触れざるを得ない。

 

それで最も感じたのは、1番まずいのは「何も話さないこと」勇気を出して話したり、聞いてみたりすると、世界が変わる。

 

……自分はかなりシャイなのだけれど、たぶん、シャイで得したことってあまりない。不自然に話しまくって損をしている人も身近に見たことがあるが、何も話さないのも、やっぱり損だ。

 

そんなふうに感じたときに、ふと思い出したのが以下の曲。

 

 

You say anything 傷つけ合う言葉でも

 

X『Say Anything』より

 

BALLAD COLLECTION

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なんでも言ってくれ(say anything)、傷つけ合う言葉でも。

 

 

……おそらくこの言葉に、コミュニケーションの根源は凝縮されていると思う。

 

自分はX(X JAPAN)が好きで、昔から聞いていたのだけれど、これまでこの曲をなんとなく聴いていた。……でも、この歌詞に隠された切実さ、他者を求める渇望というもの、人と人の間にある壁を越えたい・壊したいという切望を感じながら聞くとき、改めて感動を禁じ得ない気がする。

 

ただ、相手のほうから「話してくれないかな〜」と待っているというよりは、もしかしたら相手を傷つける可能性が0.00001%あるとしても、やはり勇気をもって言葉を発しなければならない、という、1つの意志として、自分はこの歌詞を理解した。

 

「口は災いの元」というように、「言わなければ良かった…」と後悔した経験を持つ人は多いだろう。それに萎縮して「自分から何も言わない」と決めてしまえば、確かに間違ったり、相手を傷つけることはないだろう。けれど、それは良いことではない。断じて良いことではない。何か理屈を超えて、今回の旅で、ものすごく感じた(反省した?)ことだった。

 

 

 

2.

 

コミュニケーションについて考えさせられる、もう1つ身近な「事件」があった。

 

自分の身内が飲食店で働いている。最近、責任あるポジションについた。

 

そんな身内の店に最近、とんでもない酔っ払いがやってきて、身内に向かって暴言を吐いたのだそうだ。

 

正確な発言内容は分からないのだが、分かっている内容だけでも充分にひどい(ひどすぎる)ものなのだ。

 

 

 

自分は身内に言いたい。

 

そういうひどいやつもいるが、心を閉ざすな。

 

自分や、他の大切なひとに、決して心を閉ざさないでくれ。

 

……心を閉ざし、やがて寡黙になる。相手を傷つけることで、そんなきっかけを作る人間がいる。そいつに負けないで欲しい。この出来事によって、未来の良き出会いを奪われないでほしい。

 

 

前を向くと、今、世界は確実に変わりつつある。人類がこれまで経験したことのない急速な変化だ。そんな素晴らしく、エキサイティングな時代を生きている。

 

そんな時代にあっては、例えば身内を傷つけたような種類の人間たちは、時代に置いて行かれるか、あるいは"退場"することとなるだろう。よりよい時代に、このような人間は必要ないからだ。もはや、争いによって奪い合う時代、嫉妬や憎悪の時代は終わる。

 

私たち日本人だけでなく、戦争や紛争に直面している人々、政治的な弾圧を受けている人々、など、世界的にも今はまだ困難な時代だ。けれど、そのような状況も遠くない将来(ひょっとすると私たちがまだ生きている頃に)終わるだろう。コンピューター・AIの登場が、世界の等比級数的な変化を牽引している。

 

 

私の声が聞こえる人達に言う、「絶望してはいけない」

 

私たちに覆いかぶさっている不幸は、単に過ぎ去る欲であり、人間の進歩を恐れる者の嫌悪なのだ。

 

憎しみは消え去り、独裁者たちは死に絶え、人々から奪いとられた権力は、人々のもとに返されるだろう。

 

決して人間が永遠には生きることがないように、自由も滅びることもない。

 

映画『独裁者』より

 

 

民主主義のこの時代、この国に"独裁者"はどこにいるのだろう?

 

…現職総理だろうか? アメリカだろうか? 陰謀論の都市伝説で名前の挙がる組織・団体だろうか?

 

……それは否定できないかもしれないが、我々には確かめる術がない。

 

それよりも私たちの身近に"独裁者"はいないだろうか? 私たちも権力の主体として、それを悪用していないだろうか? 自分よりも立場の弱い人に、それを乱用・悪用していないだろうか? 

 

私たちの、権力の主体としての無自覚さが、実は1番危険かもしれない。…たぶん、フーコーもそのように考えていたかと思う。

(フランスの思想家ミシェル・フーコーは、セクシャルマイノリティとして、普通の人々の間にあるパワーバランス/権力のドラマに対して、とても敏感であったのだろう)

フーコー・コレクション〈4〉権力・監禁 (ちくま学芸文庫)

フーコー・コレクション〈4〉権力・監禁 (ちくま学芸文庫)

 

 

 

なぜ権力の乱用・悪用がいけないことなのか?

 

それは、憎悪のサイクルを作り出し、この世界・社会の進歩を止めてしまうからだ。私たちの"自由"を制限し、あるいは損ねてしまうからに他ならない。

 

「世界・社会の進歩を止めてしまう」といったマクロな現象は、ごくミクロで個別的な事象の総体として起きる可能性がある。複雑系的世界観においては「心ない1つの言葉」が、後の世界大戦にまで発展する可能性があるといっても、決して大げさではないかと思う。

 

 

3.

 

切実に渇望されるコミュニケーション。他者を心から必要とするところに生まれる叫びのような、コミュニケーション。

 

そのようなコミュニケーションの回路が閉ざされることがないように。もっと人々が自覚的になれば、と思う。