「ITは、持たざる者にとって最高のものなんだよ」という話
1.
中国の極貧の村が、変わってきているらしい。
インターネットを駆使して世界中を相手に販売ルートを獲得、それによって村に産業を生み出している人がいるという。
しかも1つの村の話ではなく、複数の村で起きているとのこと。
中国の平均月収は、上海で4万円、北京で3万円。(手取りで)
出典が10年近く前なので、今はちょっと違うかもしれないが…
ちなみに「中国の極貧の村」は、世帯の年収が3万円だったりする。
…東京に住む人の平均月収は、手取りで24万円。年収で、288万円。
「中国の極貧の村」を日本基準に直すと、世帯年収が24万円ということになる。
「世帯年収」がどういう意味かお分かりだろうか?
年収24万円で父母、祖父、子供達など、10人近くが飯を食っているということである。
子供達は当然学校にも通えない。
中国には、現在も、こういう凄まじい格差が存在しているのだ。
そして、その格差を是正し、彼らを救っているのは、政府ではなく、ITを手にした村の若者や、新進起業家だったりする。
2.
インターネットを使うと、なぜ村に産業が興るほど儲かるのか?
それは、貨幣価値の高い国相手に、宝石など、村の特産品を直接売るからだ。中間搾取なしで。
この話を聞いたとき、IT技術の真の意味の1つを知った気がした。
実際にインドのような途上国でも、IT技術者やプログラマーが巣立ち、世界を相手にお金を稼いでいたりする。
また、多くの人がその実態をよく分かっていないであろう「Google」という企業は、IT技術による「再分配」に本気で取り組んでいる。
3.
ところで、日本でも義務教育でのプログラミング授業がはじまるらしい。
自分は小学生のころ家庭科や技術の授業を受けたが、特別に料理がうまかったり、日曜大工みたいなことができるわけではない。
「一応プログラミングに触れるだけでも良いよね」という考え方は確かにある。
それはそうなのだが、こんな時代なので「義務教育でのこの基礎を学んでおけば、その後は独学でもなんとか学べて、最悪の場合でも喰っていけるよ」みたいな明確な指針は示して欲しい気がする。
でも、どうせお役所仕事なので、期待できない気がする。
4.
「プログラミングは難しい」とよく言われる。
挫折する人も多いという。
でも、難しいのは、ある意味で当たり前である。
なぜならプログラミングは、人類の知性がたどり着いた1つの終着点であるからだ。(論理学、ブール代数、アルゴリズムetc…)
同時に、プログラミングは全然難しくない。
それは、料理とか、ピタゴラスイッチとかに似ている。
明確な機能やゴールが目指されていて、とりあえず問題なく動くならば、そこに至る道筋は全て正解ということになる。
…プログラミングは自由度が高すぎるために、捉えどころがない部分もある。
多くの人は、プログラミングを学ぶことで、具体的にどんな役に立つのかイメージできない。
例えば、カレーを知らない人に、材料だけ渡してもピンとはこないだろう。
これに似ている。
プログラミング教育で、先生はきちんと「カレー」を提示できるのだろうか? その楽しさや可能性を、生徒に伝えられるのか? 大変気になる部分ではある。
もちろん、カレーが作れるようになっても差は出てくる。
一流シェフになって、カレー1杯で2,000円、3,000円と稼ぐ人も出てくる。
レトルトカレーのモデルになって、その権利で巨万の富を得る可能性も。
その反面、駅前の食堂とかで500円のカレーを作る人になるかもしれない。
場合によっては主婦として、あるいは休日の趣味として、カレーを作るかもしれない。
…そう考えると、本当にプログラミングと料理は似ているな。
実は、もっと話を進めると文化人類学方面にいってしまう。
もしかしたら、今度書くかも。
5.
コンピューターやITの可能性に、本当にワクワクできる人は「持たざる者」なのではないかと思う。
満たされた環境で学んでも、あまり習得できないのではないか。
プログラミング、あるいはITノウハウの習得には「カレーが食べたい」というハングリー精神が必要かと思う。
お腹が減っていない人は「ニンジンの栄養素」「カレーに含まれるスパイス」とか、衒学趣味の、しょうもない知識を身につけてしまいがちだが、腹が減っている人にとってとにかく重要なことは「とにかくカレーにありつくこと」である。こういうのがないと、途中で挫折しちゃうんじゃないかな、と感じる。
…今日は何でこんな話題を書いたんだろう? まあ、つれづれなるままに(笑)