30歳からのブログデビュー

アラサー男があなたに贈る現代版「徒然草」(つれづれぐさ)

そろそろライター卒業かな?という話

1.

 

ある職業、会社、役職に安住していられない…。

 

今はそんな時代だが、自分の職業(?)であるライターも例外ではない。

 

ある程度時間の自由は利くが、この先、このまま働いていても、大幅に稼ぎが増えるようなこともないだろう。

 

特にweb系は価格破壊(単価の下落)が顕著で、格差もすごい。

 

なぜ格差が発生するのか?

 

クオリティが求められないコンテンツが多数存在するからだ。

 

ブログみたいなことを書いて、お金ももらえてラッキーだよね、という考え方もあるが、たぶん収入や安定性の面から見ても、職業にはなり得ない。

 

それでたぶん、AIの技術がもう少し発達した段階で、ライター業界に大変革が起きるだろう。ある程度名の通った、ごく一部のライターだけに仕事があり、後の大多数には仕事がなくなる。副業でちょっとだけ、という場合にも仕事がない、という状態になる。

 

事実、ライターやwebコンテンツ業界が、音を立ててガラガラ崩れる音が聞こえる。

現場にいるからこそ「たぶんこの業界も長くないな…」という予感が働く。

 

2.

 

そろそろライター卒業かな?とは考えるが、現在の所、そこそこの収入を得ているので、まだ完全卒業の段階ではないかな。

 

けれど、「半ライター」的なスタンスに移行すべきだと、強く感じる。

 

将来的に、ライターでの収入が、全く家計の足しにならなくなる可能性が高いと自分的には思う。

 

少し前から「半農半X」とかが流行っているが、実際に、職業(というか収入の手段)を2つ〜3つほど持っておく必要がある。

それが当たり前の時代になってきたようだ。

 

半農半Xという生き方【決定版】 (ちくま文庫)

半農半Xという生き方【決定版】 (ちくま文庫)

 

 

自分の場合、一例では自社コンテンツ(というほど大したものではないが)の展開を考えていて、今後の旅をその材料にしようと考えている。

 

ただ、こちらでどの程度収益が出るか(あるいは出ないか)の予測が立たないので、当然他の道も考えなければならないが…。

 

それについては、また書きたいと思う。

 

3.

 

現在、仕事がパンパンに詰まっているわけではないのだが、忙しい。

 

まず、今後の旅中心の生き方に備えて部屋を整理している。

 

10年近く過ごしたわけで、やはり思った以上に物が多い。

 

…本に関しては知り合いにかなりあげているが、それでも本棚数個分の本が残っている。

 

できれば神保町とかへ売りに行きたいのだが、時間がなさそうだ。

 

友人・知人との食事の約束や、歯医者(虫歯なんです)などに行かなければならず、同時に、11月以降の旅の予定も立てなくてはならない。

 

航空券や宿の予約の関係で、そろそろ決めておきたいわけだ。

 

あと、仕事関係でも調べることが多い。

 

…なかなか骨が折れる。

 

 

4.

 

しかし、考えて見ると、ここ数年間はなんと間延びした人生を過ごしたことだろう。

 

もちろん貯金ほか、「とりあえずがむしゃらに働こう」という期間ではあったので、決してムダとは思わないが…。

 

こんな働き方があと10年、20年続いたケースを想像すると「キツいな」と感じる。

 

まあ、それが無理なので旅に出るわけだが…。

 

 

5.

 

普通に考えれば、30歳になって、旅中心のライフを送ることは大きなリスクだ。

 

ではなぜやるのか?

 

変化のない現在の生活を送り続けるほうが大きなリスクだと思ったからだ。

 

私たちは、リスクを避ける(失敗を避ける)傾向がある。

 

もちろん、しなくていい失敗は、しないに超したことはない。

 

例えばギャンブルに手を出してしまうのは安易だし「胴元が1番儲かるようにできている」という事実を把握できていない時点で、アウトだ。(これはFXなども同様だ)

 

マンガ『カイジ』は、戦う人間の弱さ・悲しみを描く傑作だが、ギャンブル自体を「勝負の場」などと考えると「しなくていい失敗」「再起不能な失敗」をしてしまうように思う。

 

 

自分はこの年になって、リスクに関するいくつかの真実に気づいた。

 

①私たちが恐れる「リスク」は、よく分析すると大したリスクではない

②リスクをきちんと管理すれば、例え失敗しても、致命傷にはならない

③きちんと管理したリスク下での失敗なら、失敗しても得るもののほうが大きい

④リスクを回避し続けると、かえってリスクは増大する

 

 

ちょっと変な例えかもしれないけど映画『ロッキー』なんかはすごく良い例だと思う。

 

ロッキー (字幕版)

ロッキー (字幕版)

 

 

『ロッキー』は「負けざまで勝つ」という方法論を示したことで、普通のスポーツ・アクション映画とは違うレベルの傑作になっている。

 

然るべきタイミングできちんと勝負して、適切に負けておかないと、次のステップや成長はない。

 

特に日本人が今後よく学ばなければならないのは「勝ち方」よりも「負け方」ではないだろうか。

 

…端的にいうと「負け方」とは「一撃で死なない負け方」だ。

それは、柔道の受け身に近いかもしれない。

安全性の考慮されたスポーツだって、打ち所が悪いとやはり死ぬ。

 

私たち日本人は、ある種の古い恐怖感が抜けず、それに支配されていて、大変打たれ弱い。1度か2度失敗すると、ショックで思考停止になってしまう。失敗から学び、次に生かすことができないので、ただの挫折や、人生の汚点となって、大変みじめな人生を送ることになる。

 

でも、それは、本人が勝負を終わらせたから、終わってしまっただけだ。

生きている限り、試合は終了しない。

チャレンジする限り、実は負けなどない。

 

つまり、負けた人間とは、他人や社会から「負け」を言い渡された人ではなく「自分で自分を信じられなくなり、自ら負けを宣言した人」なのである。

これこそが、本当の挫折だ。

 

受験や就活の失敗、リストラ、倒産…。

 

それがなんだというのだ?

 

死ぬわけじゃあるまい。

 

死ぬのは、自ら命を絶つ人だけだ。

 

しかし、そんな真面目で、繊細で、優しい人ほど、死んではいけない。絶対に。

 

世の中に地獄があるとしたら「自分が自分を信じられなくなる状態」にほかならない。

 

 

……ちょっと話がいろいろ飛んだ。

まあ、いつものことだけど。