頭の整理〜尾崎豊とかの話
正社員に誘われた話に進展があった。
話し合いが少し進んだのだが、現状分かったことはこんな感じ。
1.自分の分野とは、ちょっと違う能力を要求されているらしいこと
2.会社のトップ(自分を誘ってくれた人)は、自分を「育てる」つもりらしいこと
3.しかし、現場で働く社員(正社員になったら自分の直属上司になる人)は、自分に対してどう思っているか、いまいち分からないこと
実は、1度断りの連絡を入れた。
しかし、会社のトップからすると、自分を相当気に入ってくれているらしく、なかなか折れてくれない。
それで結局、進めるだけ進めることになった。
嬉しい反面、未だどうしたらいいのか決めかねている状態ではある。
……当初よりも話がクリアになった部分(予想外な部分も)があり、正直「自分よりも適任者いるんじゃね?」という感じだが、求めてくれる人を振り切ることはかなり難しい。
Hard Worker
自分のくらしが一番自分を傷つけると泣いてる(……)
自由になりたくないかい
熱くなりたくはないかい
自由になりたくないかい
思う様に生きたくはないかい
自由っていったいなんだい
どうすりゃ自由になるかい
自由っていったいなんだい
君は思う様に生きているかい
『Scrambling Rock'n'Roll』 尾崎豊
昔のロックはダサい。
それにも関わらず、時代を超えて何かが突き刺さることがある。
例えば、尾崎豊。
自分は、年齢的にもリアルタイム世代ではないのだけれど、縁あって一時期良く聴いていた。
自由っていったいなんだいという言葉だけが、頭の中で何度もリフレインしている。
「自由」なんていう大きなもの、自分にわかるわけがない。
けれど「不自由」なら知っている。
例えば、混み合った朝の電車。
朝、決まった時間に起きて、学校や仕事に行くこと。
時間や場所を他人から決められ、縛られること。
「自分」の意識(心?)が漂流して、どんどんなくなっていくような感覚や状況。だからこそ、かえって「自分」に固執したりして…。
……自分は、今思えば、できる限りの不自由さを避けるように歩んできたのかもしれない。
しかし、自分にとって、例えば「仕事をしない」という選択肢はあり得なかった。
16歳で初めてバイトをしてまとまった金を得た時から、
「仕事は自由への手段である」という意識があり、
その考え方は今も変わっていない。
それに加えて現在は「仕事は社会とつながる手段である」とも、考えている。
この「社会とつながる」という点は、仕事の何よりも重要なポイントではないかと思う。
簡単に言えば「狂わないため」に必要なのだ、おそらく万人にとって。
仕事をしていて「こんなことしたくない」「このままじゃおかしくなる」という人も多いと思うが、それは、仕事の制度や人間関係の問題であって、仕事そのものが悪いわけではないケースが大半ではないかと思う。
大金を稼げるかどうか別問題として、打ち込める仕事は人を成長させ、より良く生きることを助けてくれる(と、少なくとも自分は信じている)。
たぶん、この辺りを混同してしまうから、話がおかしくなるのだ。
そもそも「労働の起源は遊びである」という説もあるようだし。
……。
自由って、いったいなんだい?
ノートPC1台リュックに詰めて、気軽に日本中を歩く。
なんかこんなふうに書くと「自分探し中の人」みたいだけど(笑)
そういうわけではなく「現在の日本の可能性」みたいなものを見つけに行きたいな、と思っている。
かなり破天荒(というか普通の人には理解しがたい非常識)ではあると思うが、自分にとっては、1つの「投資」であり、れっきとした「仕事」なのだ。
たぶん、6月中には1つの結論が出るだろう。
正社員になるのか。
あるいは下請けのような形に落ち着くのか。
または今回、この話は「お流れ」(無かったこと)になるのか。
……あるいは、やはり旅に出るのか。
時に、誰も傷つけないような着地、というのは案外難しいものだ。
恋愛でも、仕事でも、遊びでも…。
しかし、それを経ていかないと人生は動いていかないものだ。
ここは、できるだけ恐れず、チャレンジするっきゃない。(疲れるけどね…)
そんなわけで、仕事もなかなか減ってくれない。
「自分のくらしが一番自分を傷つける」と泣きはしないけれど、
Hard Workerであることは確かかも。