追い炊き待ち〜「読まなくてもいい本」とかの話
お風呂の追い炊き待ちは、やることがない。
休憩中なので、仕事もしたくない。
ご飯は風呂上がりでいい。
かといってテレビや音楽、読書もなあ……。
実はブログって、こういうスキマ時間のリフレッシュになる。
はじめて間もないが、そんなことを感じている今日この頃。
さて。
読書と言えば、最近こんな本を買った。
「読まなくてもいい本」の読書案内:知の最前線を5日間で探検する (単行本)
- 作者: 橘玲
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2015/11/26
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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これは橘玲さんという作家が書いた本で、
早い話が「古い知識に基づいた名著なんて、読まなくていいんじゃね?」
という話題が展開されている。
この本が(少なくともamazonレビューでは)賛否両論を巻き起こしている。
「その通り!」
「いや、賛成する奴ほどバカだ!」
……平行線だ。
それもそのはずで、大切なのはその本に「どれだけ反響があったか」
という1点でしかない。
それも賛否が割れている本ほどなお良い。
例えば過去にこんな本がセンセーションを巻き起こした。
うほっ!エロい!!
……じゃなくて、こっち。
これはヨーロッパが封建的で、今以上に階級社会だった20世紀前半に書かれたラブロマンスなのだが、内容的には「いやしき身分の男と貴族の妻のハレンチなおこない」なのである。(と言っても、21世紀の方々には全然刺激的には思えないかもしれないが。自分も含め)
日本では、伊藤整が1950年に無修正版を発行したが、摘発され発禁処分、その後絶版に。
本国イギリスでも、1960年に無修正版が発行されるも、こちらは無罪となった。
この本については当時、もちろん「猥褻」という理由でダメだったのだが、
おそらく最も社会に衝撃を与えた理由は「これまで脈々と続いた伝統、価値観、パワーバランスを最悪な形で否定していたから」だと思う。
つまるところ『チャタレー夫人〜』という本そのものが、一種の革命だったわけだ。
話を戻して結局何が言いたいのかというと、
毒にも薬にもならない本には、たぶん価値がない、ということだ。
価値がない、というか「面白くない」と言うべきか。
実際に『「読まなくてもいい本」の読書案内』には、とてもまっとうなことが書いてあって、少なくとも説得力は感じた。
例えば。自力で「万有引力」を発見したらすごい。
たぶん天才だ。
それにも関わらず、その功績は称えられることがない。
(……というエピソードが、伊坂幸太郎原作の映画『ポテチ』で実際に出てくる)
21世紀に自力で「万有引力」を発見しても、
笑われるか、
無知と言われるか、
哀れみを買うかの、いずれかだろう。
たぶん、こういうことにならないために、人は学ばなくてはならないのだ。
そして「最新の知見は大体こんな感じだよね」と、なんとなく知っておくだけでも、ちょっとは人生が違ってくる気がする。
……あ、とっくにお風呂が沸いていた。
(『「読まなくてもいい本」の読書案内』についてはまた書くかもしれない)