テレビなんてもう見なくていいや、という話
1.
SMAPが解散するらしい。
自分は特別ファンというわけではないが、「いいとも」と同様に、やはりひとつの時代の終了を見ているようで、なんとなく感慨深い。
このニュースを人づてに聞いた時「ああ、テレビは終わったかな」と感じた。もちろん自分にとっては、と言う話だが。
テレビは今後も続いていくだろうし、たくさんの新しいドラマ、バラエティ、ニュースが出てきて、その合間に、無数のCMが流れることだろう。
けど、なんかもういいかな、という気がしたのだ。
この、ものすごく主観的な「直感」のせいか、ふと唐突に思いついたのだが「今後、テレビを一切見ないのはどうだろう?」というふうに考えている。
そもそも、テレビは幻想だ。画面の中のジューッと焼けるステーキや、美人やイケメンも、恋愛やスペクタクルもすべて。
そして、最近のテレビは、ドラマやバラエティの内容までもが広告化している。
テレビはものすごくローコストな娯楽なのだが、視聴者の時間を大幅に奪う。
例えば、1日に2時間テレビを見る。
すると年間で、700時間以上の時間が奪われることになる。
その時間が、700時間を費やす価値が果たしてあったのかと言われると、正直言って自信がない。そして、700時間あったら何ができたのか、と考えると、明らかにもったいない。
東日本大震災のような惨状が起きれば、テレビをつけるのもよいだろう。しかし、くだらないバラエティー番組や、自分とは無関係の地域で起きた事件、事故、天気、その他のニュース、など、そんなことは知らなくたって全く生きていけるのだ。
多分、自分はテレビをもう一生分は見た。
だからもう、いらないんじゃないかな?
テレビの平板な画面を見つめることで、世間や物事を知ったような気になるのは、限りなく危ない。そのようにしてエセ評論家が生まれ、どうしようもない戯言を吐き散らすようになるのではないか。それには絶対になりたくない。
2.
あえて言い切るなら、テレビによる時間の浪費が、今後の自分の人生にとって「大きなリスクになる」と感じるのだ。
年間700時間の浪費は、あまりにも痛い。
だって、1日の活動時間を10時間とすると、なんと70日分にもなるのだから。
…でも、みんなそうやって時間を搾取されている。ミヒャエルエンデ作『モモ』に出てくる時間泥棒みたいに。
- 作者: ミヒャエル・エンデ,大島かおり
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2005/06/16
- メディア: 新書
- 購入: 41人 クリック: 434回
- この商品を含むブログ (297件) を見る
問題は、テレビを見ない時間に何をするかが重要で、特に若い人なら、テレビなんて見ている時間はないはずだ。
3.
浮いた700時間を何に使おう?
仕事や読書はするかもしれないが、700時間を丸々当てるわけではない。
実はこの使い道が、今後のものすごく大きな課題になるだろう。