「希望難民と30代からの読書方法」の話
1.
ピースボートに関する本を読んだ。
自分とほぼ同い年の社会学者が書いており、彼の言いたいことが、なんとなく、あ・うんの呼吸で分かってしまうような部分もあった。いわゆる同世代感覚というところだろう。
希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)
- 作者: 古市憲寿,本田由紀
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2010/08/17
- メディア: 新書
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しかし、書かれている内容以上に、それを超えた部分で違和感を覚える部分があった。
今浮かんでいる疑問は、1つの言葉に集約できる。
読書って、ひょっとしたら無駄かもしれない。
2.
しかし、彼はすべての航海に参加しているわけではないし、乗船していたと言っても、そのすべての現場を見たわけではない。
社会学的な 体裁は保っているものの、やはり、かなり私情の入ったエッセイのようにしか思えないような部分もある。しかし、これは、あらゆる本に共通してしまう。つまり、書き手の主観という部分を超えるような本は、存在しない。
…すべての学者にほぼ共通していると思うが、学者は、その本に、自分の実存をかけるような責任感を持って本を書いているわけではないだろう。
あるいは「責任感を持っているつもり」「嘘は書いていないつもり」の学者のほうが、もっとたちが悪い。
例えば、主張の根拠として持ち出されるアンケートや統計の結果に「どれほどの正確性があるのか?」という点は全く考慮されていない。
3.
例ならいくらでもあるけど、例えば「年収200万円以下は貧困層」といわれるが、それぐらいの収入でも、幸せに過ごしている家族もいるだろう。場合によっては、実家や近所のコミュニティで助け合って、案外良い生活をしているケースもある。逆に、年収1,000万円超でも、破産の危機にある家庭があるという。
このようなことをいちいち精査していくと、ありとあらゆる主張が、机上の空論に帰してしまう。調査の正しさを詳しく追及すれば、多分一生かかって、一冊の本も出せない。
自分は、学者という人たちが、ありもしない問題や概念を作り出し、かえって読み手や、民衆、社会を混乱させている側面があるのではないかと思う。
多読家、知識のある人などは、実は、出版業界や、そのクライアントである業界に搾取されている可能性もあるのだ。
4.
最近読書をしていて、たびたび頭に浮かぶ1冊の本がある。それは、ショーペンハウエルの『読書について』という本である。
- 作者: ショウペンハウエル,Arthur Schopenhauer,斎藤忍随
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1983/07
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簡単に言えば、ショーペンハウエルは、読書というものを否定している。
正確には「自分の頭を使わない読書」を否定しているのだが、これは「ほぼ読書そのものの否定」と言ってもいいと思う。
よく本を読まれる方なら分かると思うが、頭のスイッチをある程度オフにしておかないと、スムーズな読書というものは成立しない。
昔の人は「本ばかり読んでいると頭が悪くなる」と言ったという。単に教育のない人の戯言のようにも聞こえるが、実は案外、核心をついている可能性もある。
5.
自分は30歳になり、残された時間(資本)というものを考える。
「今の読書は、自分のリソース、時間を割くに足り得るものか?」そんなことを考える。簡単に言えば、無駄な時間を使いたくない。
もちろん今後も、読書するだろう。全く本を読まないということは、たぶん不可能だ、特に自分の場合は。
しかし今後は、 本の読み方を抜本的に変えていかなければならないと思う。具体的な方法は、自分の知らない分野の本だけを読むという読み方だ。
6.
自分は、ある程度深く、それなりの冊数を読んできたと自負する。
しかしよく思い出すと、同じ分野の本には、同じような内容しか書いていないことが多い。ある問題に対して、反対か賛成か保留かという立場があるだけで、実は新しい発見や気づきなどがほとんどない。 思想や哲学、社会学の分野だとこのような傾向が高い。
小説に至っても、同じような物語構造の中で、ちょっと細部が変わっていたりキャラクターが変わっていたりするだけで、何か驚くような新鮮味を感じさせる作品というのは、ほぼない。(と、蓮実重彦も言っている)
よく、近代小説は19世紀に完成されたというが、実際にその時代の大作家の完成度を超える作品は、ほぼ出ていないと思う。
単なる懐古主義とか、権威づけされているからということではなく、本当にそんなふうに感じてしまう。どんな分野にも「旬」がある。それを過ぎた分野は、単に「古い」のだ。
限られた人生の中で、もう「焼き直し」を読んでいる時間は無い。
読書の時間を、有益で、なおかつもっとも価値のある時間に最大化するには、知らなかった分野の本を読むことが一番だろう。