マナーってなんだろう? という話
1.
こんなニュースがあった。
電車マナーを巡って口論となったらしい。
優先席をめぐり、お年寄りと男性が口論になったとのこと。
お年寄りには「高齢者へは席を譲ってしかるべき」という「正義」がある。
しかし男性にも言い分がある。ツイッターにこう投稿したそうだ。
「私は優先席を譲りません!!なぜなら先日、今にも死にそうな老人に席を譲ろうとしてどうぞと言ったら『私はまだ若い』などと言われ、親切な行為をした私がバカを見たからです。今後とも老人には絶対に譲りません」
…つまり、男性にも一応「正義」がある。
2.
実際に、若い人でも、外見ではわからない重篤な障害を抱えている可能性がある。
また、自分の知り合いは、過重労働で血を吐き、入院した。まだ若い方ではあるが、一般的な高齢者よりも、明らかに「優先席に座らなければならない人間」だと思う。
シチュエーションは様々だ。
一概に何が正解とは言えない。
小さな衝突だが、「正義」と「正義」が衝突すると、話は平行線で、なおかつロクな結果にならない、というような一例と感じる。
3.
この問題の解決は、決して難しくない。
「女性専用車両」と同じく「高齢者専用車両」を作ればいいのだ。そして「高齢者専用車両」は座席だらけにすればいい。資金面については、一般の大人料金に、プラス100円〜数百円程度にすればよいだろう。
自分を高齢者だと思わないアクティブな方は、一般車両に安く乗る。
もちろん、そのような方々は「席を譲れ」などとごねることもない。
4.
もちろん、お金を使わない解決方法もある。
「思いやりのある丁寧な言葉で話すこと」だ。
「すみません。腰が痛くてたまらないので…申し訳ありませんが、席を譲って頂けないでしょうか?」
この一言が言えれば、男性の対応も違っていたのではないだろうか?
5.
コミュニケーションを「コミュ力」などと呼び、ビジネスや就活でだけ役立てようとする人も多いかもしれない。
けれど、コミュニケーションとは究極的には、
「自分が絶対ではないことを知り、謙虚に相手の気持ちを知る努力」以外の何ものでもない。
相手を思い通りに操作することではない。
仮に「高齢者専用車両」を作ったとしても。
ある意味では、考え方を変えていかないと、意味がない。
トラブルの種なんて、いくらでもあるのだから。