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30歳からのブログデビュー

アラサー男があなたに贈る現代版「徒然草」(つれづれぐさ)

禁煙化が進む…文系と理系の違い…など雑多な話

1

 

これまでタバコが吸えたファミレスが完全禁煙になったり、あるいは、曜日や時間帯によっては吸えなくなってきている。

 

残念だけど、時代の流れというやつだろうか…。

 

考えれば、禁煙化は今に始まったことではない。

 

駅で吸えなくなり、路上で吸えなくなり、それでファミレスでも吸えなくなり…

 

しまいには、喫茶店でも吸えなくなるかもしれない。

 

 

もちろん、日本の場合には2020年のオリンピックがあるわけで、特に東京や、その他の観光地ではどんどん厳しくなっていくだろう。

 

タバコの値段も上がってくる予定なので、どうしようか…という感じである。

 

不便で、なおかつ不経済な感じになってくると、やはりタバコをいつかはやめなくてはならないのかもしれない。

 

その代わりに大麻が解禁されたりするのだろうか?

 

うーん…それってどうなんだろう。

 

2

 

こんな感じで世の中がどんどん変わっていく。

 

だから、自分もそんな時代を横目でみながら、いろいろ考えて、先々のことを考えなくてはいけない。

 

とりあえず、今年〜来年いっぱいは日本各地をいろいろ旅してみる。

 

 

と、同時にやはり勉強したいという気持ちが強い。

 

その場所が大学なのか、大学院なのか、もしくはもっと別の場所なのか…まだよく分からないけれど。

 

…正直なところ、大学は「ただ単に、純粋に勉強しよう」という気持ちで入学した。

そもそも何がしたいかもよく分かっていなかったのだ。

(文章を書くのが好きなので、作家か研究者にでもなろうか…とは思っていたが)

それで「勉強する」という目的はある程度達成することができた。

 

今のところ、それが糧になっているし、ある程度役に立っているとは思う。

事実、文章を書いて生計を立てている。

安定しているとは言い難いが、まさか本当に文章を書いて生活できるとは、10代、20代(大学在学中)ですら思わなかった。…人生とは、不思議だ。

 

ただ、大学では良い授業もあったが、本当に刺激的(エキサイティング)だったものはごくわずかで、後はだいたい自分で勉強していた、という感じだ。

 

そんなふうにして自分が卒業したのは文系の学科だ。

そして、文系の学問の「限界」を目にすることができた。

それは、本当に意義のあることだった、と思っている。

 

ただし、今の興味は理系のほうに向いている。

 

3.

 

文系の学問とは、一言で言えば「実存主義的」な立場から、世界を見て、表現する。

 

一種の人間中心主義と言えば良いのか。

 

その立場は結構大事なのだが、今の社会にとってはあまり役に立たないものになっている。役に立たない…というか「文系の学問は、すでにある程度のゴールに到達している」と自分は思うのだ。

 

そのゴールはほぼ全て「広告」という分野に集約・フィードバックされて、それ以外の分野の有用性はほとんど無くなっているのが現状かと思う。

 

法律や政治の分野は…正直あまり興味がない。少なくとも、その現場で働きたいとはあまり思わない。

 

 

一方、理系の学問とは、一言で言えば「構造主義的」な立場から、世界を見る。

 

こちらの分野にはたくさんのフロンティアが残されているし、ことによると、人類全体の生活を大きく変える可能性も持っている。

 

そう考えると、理系分野のほうが遙かに楽しそうだ、という気がしてくる。

 

少なくとも「一生楽しめそうだ」という気がするのだ。

 

 

自分は漠然と、ずっと文系な頭で一生を送るように思っていたのだが、現段階では、どう考えてもそういうビジョンは思い描けない。

 

30歳から、こんなに大きな方向転換を迫られるとは。

 

……実は、自分は昔から数学や科学、機械などが結構好きだった。しかし、親が理系の職についており、それに反抗するかのごとく、文系を突き進んでしまったわけだ。

 

まあ、ありがちなことである。

 

しかし、今冷静に考えると「自分が進むべき道はこっちではないかも」と感じられるのだ。このまま、こちらを突き進んでも、何もないような気がしているわけ。

 

 

4.

 

なんだかいろんな意味で「30歳」はターニングポイントになりそうだ。

 

……正直、自分でも「行き当たりばったりだなあ…」と少々情けなく思うが、しかし、こういう歩み方しか出来ないのが自分らしい。そして、そんな「行き当たりばったり」でも(今までは)案外、そこそこうまくいっているのが、また不思議に思う。

 

そして、そんな寄り道の途上で、心に残る多くの経験や思い出を得たことも、また事実だ。時には「そんなの無茶だ」「やめておけ」といわれたこともあるが、結果としては、自分の思うようにしたことが、正しかった。

 

自分を心配し、気にかけてくれる方のアドバイスはありがたいが、それが正しいケースはあまり多くない。だって、その人はアドバイスをしただけで、決して自分の人生に責任を取ってくれるわけではない。他者の言葉を真に受けすぎて、責任転嫁や「恨み」を抱かないためにも「結局は自分が重いとおりにやる以外ないのだ」ということは、かなり早い段階から自覚していた。

 

5.

 

それならば。

 

しかるべき準備を本格に進める必要がありそうだ。

 

思えば、長いモラトリアムをやっている感覚もある。……本当に、今の時代に生まれてなかったら、自分はどうなっていたんだろう…。そういう意味でも、かなりラッキーなのかもしれない。というか、やはり日本はある程度恵まれた環境ということだろうか。

 

まあ、仮にまた大学(もしくは大学院)に入るのだとすれば、学力が圧倒的に足りないわけで。その辺もどうにかしなきゃいけないな。

 

なんかすごくしんどい生き方だが、もともと、一般的とは言える生き方はしていないので、仕方ないか…。

 

まあ、1つの可能性として、よく検討しようと思う。

 

6.

 

ちなみに厚切りジェイソンさんは「「これ、おもしろそう!」と思ったものをやればいいんですよ。みんな「やりたいこと」を重く捉えすぎている。」と言っています。

 

townwork.net

 

「なんか変な外国人だなあ」と思っていましたが、意外にまともなことを結構言っていますよね。

 

特に、年齢を重ねると「人生をかけてできるか…!」みたいに深刻に考えてしまいがちですけど、ちょっと注意しないとダメかもしれないな。

 

おもしろそう!やりたい!→やる。

 

この「シンプルさ」と「軽さ」が、案外正解なのかもしれないですね。