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30歳からのブログデビュー

アラサー男があなたに贈る現代版「徒然草」(つれづれぐさ)

宮崎駿から考える「仕事」の話

1.

 

ジブリポッドキャストで、鈴木敏夫プロデューサーが「宮崎さんは、70過ぎてからデジタルの勉強をして、新しい方法論でゼロからアニメを作り始めている」というようなことを語っていた。

 

「本当かよ?」とその時は感じたが、NHKの番組を見たら、どうやら本当らしいことが分かった。

headlines.yahoo.co.jp

 

短編では飽き足らず、この調子だと長編映画が出来てしまうようだ。

 

宮崎氏は現在75歳で、映画完成時(出来上がるならば)ほぼ80歳という年齢である。

 

「引退する」とはいったものの、やはり時間が経つと作りたくなる。

 

長年ものづくりをする人は「血が騒ぐ」のだろう。

 

2.

 

私たちの多くは、そんな仕事に就いていないし、就くことができない。

 

売れない画家、ミュージシャンなどもたくさんいるし、通常は「好きなこと」と「食い扶持」は一致しない。

 

しかし。

 

21世紀の大きな特徴だと自分は思っているのだけど「個人が自分で仕事を作りやすい時代」に今はなっていると思う。

 

ユーチューバーとか、あるいはメイカーズとか。あるいは、インターネットに販路を見いだして、趣味から「仕事」に格上げとなった例もある。

 

これは本当にスゴいことだ。

 

でも、さらに「しかし」。

 

 

テクノロジーは「才能がありながら埋もれていた人」を発掘し、その人が作り出す"何か"を、個々人の手に届けることを可能とした。

 

しかしそれは「本当に人の心にヒットできるもの」を提供できる人を引き上げるだけで、元々何もない人に、何かを与えてくれるものではない。

 

その意味では、テクノロジーはあくまでもテクノロジーで、結局のところ「作り手=人」が重要なことに変わりはない。宮崎駿でなくても、デジタル機器の使い方を覚えることはできるが「彼が持っている世界観やセンス」まで手に入るわけではない。

 

テクノロジーはその意味で万能ではない。

 

0に100をかけたって、「0」なのだ。

 

3.

 

だけど。

 

自分は全ての人に、何かしらの「1」があると信じている。

 

それが見つかるかどうかで、たぶん人生は大きく変わってしまう。

 

その「1」が、社会の役に立つとは限らないが「ちょっと人より面白い」「ちょっと気が利く」「なぜかこれだけは好きでたまらない」とか、その程度のことでもバカにしないで向き合うことが必要ではないかと感じる。

 

4.

 

やることが何もない老後は悲惨だ。

 

自分の身近にはそういう人たちがいる。

 

彼らは立派で、家庭を持ち、子供を育て、仕事を勤め上げた。

 

しかし。

 

なぜ、そんな「立派な人たち」が、老後に何もやることがないのだろう?

昔ほどではないにしても、一応5体満足なのに、1日中テレビを見て終わったりしている。

 

そのことに誰も文句は言えないし、自分だってそのつもりはない。

 

でも「外から要請されるもの」(仕事、結婚、子育て…)だけで「誰からも文句の言われない人生」を送ると、こんな老後が待っているのか……などと思ってしまう。

 

5.

 

前に、このブログで「自殺者数」の話題を取り上げたけれど、その内訳では圧倒的に無職の人が多いと聞いた。

 

これが本当だとしたらかなり悲惨だ。

 

今までは、社会が「これをやりなさい」と与えてくれたけれど、今ではその1つである「仕事」にすらありつけない人が出てきて、絶望して命を絶ったりするわけだ。

 

「仕事がない」と、社会から必要とされていないような感じがするだろう。就活に失敗してひどく落ち込む人も同じかと思う。実際、かなりキツいだろう。

 

しかし「仕事がなくなったら何もない」という状態はかなり危険ということができる。

 

生活保護もあるのだから「物理的に食えなくて死ぬ=餓死する」というわけではなく、心が死ぬのだ。

 

それでたぶん、そんな状態でかろうじて持ちこたえるためのセーフティーネットとして「1」を見つけておく必要があるのではないかと思う。これが「0」だと、たぶん耐えられない。

 

6.

 

できるだけ多くの人が「1」を見つける生き方にシフトしていかないと、たぶんこの先かなり大変なことになってくるような気がする。

 

全員が宮崎駿を目指す必要はないけれど、オンリーワンな生き方はそれぞれ模索する必要があるかと思う。

 

うーん、それなりに、結構しんどいとは思うけれど…。

 

7.

 

ただ、1個だけハッキリしているのは「1」を探すことは、世間一般で思われているような「自分探し」ではない、ということだ。

 

「自分」は「否応無しに見せつけられるもの(気づかされるもの)」であって、自分自身で発見できることはほとんどない。

 

特に「自分の固有性」みたいなものを発見するのは、ほぼ絶望的と考えていい。

 

だって、みんな赤ちゃんの時と今を比べれば、大きさも容貌も、考えていることも、できることも、何一つ違うわけで。それで、今よりも年齢を重ねたら、さらに変わっていくわけだ。

 

だから、せっかくの時間を「自分探し」に費やすことほど、アホなことはない。それが趣味なら、止めはしないけど…。

 

じゃあ「1」ってなんなのか?

 

それは、周囲の注目を集めたり、自分自身が驚いたり(面白く感じられたり)あるいは、周囲や自分から何らかのリアクションを引き出すようなことではないかと思う。漠然としているけれど、それ以外にうまい表現が見つからない。

 

でも、それが「自分が一生続けたいと思える仕事」の入り口である可能性は、案外高いと思う。限りなく狭く、また先の長い「入り口」ではあるが…。