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30歳からのブログデビュー

アラサー男があなたに贈る現代版「徒然草」(つれづれぐさ)

あまりに素敵な隠れ家的「浜」と「現代の奴隷」の話

1.

 

南の島滞在も残り1ヶ月となりました。

 

今日はマンスリーで車を借りたついでに、ビーチへ行ってみたのですが…。

 

土曜日ということを忘れていました笑 めちゃ混んでいました。自分は海や太陽が大好きですが、混み合った場所が大嫌い。そこで、前回足を運んで素晴らしいな、と思ったビーチ(というか「浜」と言った方がしっくりくる)まで車を飛ばして見ました。

 

その浜は、とある集落の中にあります。着いたのが、夕方4時半くらいだったと思いますが…すっごく空いていました。広い砂浜に座り、巨大な海を独り占め。Tシャツを脱いで体を焼きます。

 

最近はiPhoneでも仕事ができるように整備しているので、誰にも邪魔されず、太陽と波の音を感じながら仕事をしました。

 

それにしても、19時近くなってもまだ日が残っているのには驚きました。

冷えたサンピン茶(沖縄ではジャスミン茶をこう呼びます)のほのかに甘みのある芳香を鼻の奥で感じながら、仕事もスイスイ終了。

 

2.

 

…それにしてもイヤミでは全くないのですが、世の中には1日中机に張り付いて、朝晩の通勤・帰宅ラッシュで死にそうになりながら、働いている人が大勢います。それで、自分の年収と同等かそれ以下の方もいるかもしれません。(最も、時給でしっかり換算したらまた別かもしれませんが)

 

不思議です。

単純に不思議なのです。

 

世の中は全く平等ではない。

 

もちろん、自分は自営業者なので、将来の保証はありません。ボーナスもない。また、銀行や貸金業の基準から見ると、自分は最低レベルに近い信用度しかないのです。まあ、車くらいなら買えるかもしれませんが、一戸建てとなると…限りなく厳しいのが現状です。

 

しかし、一方で自分の周りには、会社や銀行に属しながら、うつ病になったり、血を吐いて入院して退職・転職した人や、毎日の仕事でかなり落ち込んでいる人が結構います。無理な働き方をするくらいなら、ちょっと年収が下がっても「持続可能な働き方」を模索するのも良いかもしれません。

 

実際に、サラリーマンとして過剰労働を強いられている方は「生物としての人間」という側面から見て正しいのか、という点は非常に気になります。本当は「週に半分くらい、1日4〜5時間くらい働くのが、生物学的にベストなのではないか?」という気がしてなりません。

 

あと以下のような記事を見ると「やっぱり…」という気がしてきます。

news.careerconnection.jp

 

実は、奴隷にも、いくつかのレベルがあります。

 

アメリカ黎明期の黒人奴隷については、全体的に本当にひどかったらしい。しかし、古代ローマの奴隷については、そのイメージがそのまま適応できない側面もあるようです。実際に、ローマ時代の奴隷は、主人から「自由身分」を買うケースもあったといいます。ピラミッド建設についても、実はかなりゆるい感じでやっていた(少なくとも強制労働の類いではなかった。給料が出たり、あるいは食料の配給もあったとか)とのことで、現代の常識で古代を見ると、ちょっと感覚が違うかもしれません。案外待遇が良かったのです。

 

そして、古代の人が現代のサラリーマン・ビジネスマンの働きを見たらこう言うかもしれません。

 

「ああ。つまり彼らは、我らの時代の"奴隷"か」

 

3.

 

自分は10代〜20代前半にかけて、いろいろなバイトをやりました。(コンビニ、新聞配達、イベントのゴミ拾い、塾の講師、車屋さん…)たぶん、働きはじめた時期も、一般的な10代の子達の中では早いほうだと思います。今考えると、それが非常に良かった。

 

想像力の問題ですが、コンビニで一生働くというのは、かなり怖い。

これはつまり「1時間数百円で人生を切り売りする生き方」です。

そして自分には、就職〜サラリーマンというコースも、この延長に思えたのです。

 

けれど、自分の当時のバイト先であるコンビニでは、16歳の自分よりも年上の人、さらに30代半ばの男性も働いていました。彼らは優しかったし、感謝する部分も大変多いのですが、正直言って「何か薄っぺらい感じ」がしました。結局そのコンビニで2年近く働きましたが、職場を離れた後で、彼らにまた会いたいとは思えなかったのです。

 

職業差別ではありません。

単純に「会っても、何を話して良いか分からない」からです。

そして自分は今でも「できるだけそういう大人にはなりたくない」と思っていますし、そう思って生きてきました。

 

4.

 

現代には、奴隷制はありません。そして職業選択の自由があります。

 

決して「自己責任」という意味ではなく、イヤなことにはNOを突きつけて、好きなように生きる権利があります。これは、人類が血みどろの歴史の中でやっとつかみ取った権利なので、使わなければ先達に申し訳ないし、もったいないと思います。

 

私たちは自由なのに「不自由」だと思い込んでいるのは、その「思い込みそのもの」に原因があるのではないでしょうか。あるいは「空気」などという意味不明な代物です。

 

そんなものは、無いのです。

 

そのことに多くの方が早く気づき「NO」を突きつけることができたら。状況は変わっていく気がします。これだけ豊かな国なので、別に仕事を辞めたって、餓死しません。福祉制度の最低限の知識、あとは本当に有効な「ヒト」のネットワーク。これがあれば、大丈夫。スマホやPCがあれば、なおベターです。問題は「ある程度のプライドや、生きる上では不要な多くのものを捨てられるか」ということかもしれません。

 

でも、プライドのために、奴隷労働を続けるって、何かおかしいですよね。

ホリエモン「多くの人は失うものなんて何もないのに、何を怖がっているの?」と言っていました。この人の発言はたまに意味不明だったり、極論過ぎたりしますが、これについては、まったくその通りだと思います。

 

 

貯金があるって言ったって、大企業のCEOや会長が1日で稼ぐ額だったりします。

家族が大事とか言っても、仕事仕事で子供とコミュニケーションできなかったり、夫婦仲が険悪なら、何のために働いているのか分かりません。

将来の出世のためと言っても、急にリストラされたり、あるいは会社自体が簡単に倒産する時代です。あるいは、過労で死んだりするかもしれない。

 

結局、何かのせいにしたがっていますが「極論は自分のためなんだ」「自分が、怖いだけなのだ」ということに気づいたほうが良いでしょう。「○○のせい」という責任転嫁を辞めないと、いずれ大変なことになるでしょう。現在のこの国のように。

 

なぜ、そんなことが分かるのか?

かつて自分も「自分以外の何か」に責任転嫁し続けていた1人だからです。