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30歳からのブログデビュー

アラサー男があなたに贈る現代版「徒然草」(つれづれぐさ)

「障害者施設での殺傷事件って…」という話

1.

 

多くの方が衝撃を受けただろう。

個人が起こした殺人事件としては、平成最悪、戦後最大クラスではないだろうか。

 

www3.nhk.or.jp

 

新聞やニュースを見るが、やはり、まともに論じている(核心に迫っている)論説や意見は見当たらない。

 

自分が子供の頃には、オウムや少年Aの事件が起きて衝撃を受けたが、ある程度年齢を重ねてくると「またか…」という感覚も否めない。

 

もちろん、被害に遭われた方は本当に気の毒で、なおかつ、こんなことが起きてしまうことは許せない。

 

しかし、実際にこういったことは起きてしまう。

 

なぜか?

 

私たちは誰でも、何かを、誰かを、物理的に傷つけ、破壊することが可能だからだ。

私たちに2本の腕があり、武器の仕組みや構造を理解できる頭がある。

可能性の領域では、誰もがいつでも凶悪事件を起こすことができるのだ。

 

この力を国家間の戦いで転用するのが戦争だ。

戦争になれば、いち農民、洋服屋、写真屋、豆腐屋など、普通の善良な人が、殺人を犯す。

これは、70年前の日本で実際に起きたことだ。

 

世界には、今でも普通の人が(幼い少年兵なども含めて)戦いに参加したり、殺されたりしている。

 

そして、そんな国・環境では数十人単位で死ぬことも日常なので、いちいち報道されないケースもある。逆に言えば、日本ではこんなことがレアケースだからこそ、大きく報道されるわけだ。もちろん「だから、結果日本は平和だよね」みたいなことを言いたいわけではない。

 

 

2.

 

自分は思うのだけれど、ある状況下に置かれたとき「人を殺せない人間」よりも「殺せる人間」のほうが多いのではないか。

 

ただし「殺すことが楽しい」といったような快楽殺人気質を持っていない人にとっては、やはり大変な心理的ストレスなので、自分を騙すだけの強固な理由が必要になる。

 

「家族のため」「国のため」「世界平和のため」「より良い世界のため」…。

 

今回逮捕された26歳の男は「障害者がいなくなれば経済も上向いて、日本が良くなる」みたいなことを考えていたらしい。

 

たぶん、自分のもやもやに対して、手っ取り早く仮想敵を作っただけだろうけど、これは一般論としても間違っている。

 

障害者の方々も軽度であれば、現に立派に働き、生産活動の一翼を担っている。

とても丁寧によく働くので、積極的に雇用するケースも広がりつつあるようだ。

 

つまり「障害者がいなくなれば経済も上向いて、日本が良くなる」というのは全くの的違い。むしろ、より積極的に雇用する体制を整えたほうが良いくらいの話なのだ。

 

それに、私たちは年を重ねれば、誰もが「障害者」になる。

障害の重い方々も、できる限りベストな状態で生を全うする権利があり、それは「人権」と呼ばれる。良い悪いは別にして、人類は「人権」の獲得までに何万年も(石器時代なども含めれば)かかった、ということを忘れてはならない。

 

このように「障害者をなくせば…」というのは、全く間違った「思想」だが、男にとっては「自分自身を騙すだけのイデオロギーのようなものは構築できた」ということだろう。

(その旨を手紙にしたため、衆議院長に送ったようである)

 

つまり。

彼は我々の理解を超えた異常者ではなく、ただの臆病な、普通の1人の男だったのだ。

殺人に理由を求めてしまう、理由が無ければ正気を保てない、そんな弱い男だったのだ。

 

そして、そんな「彼に似た人」は、おそらく私たちのごく身近にいる。

 

職場や学校で机を並べたり、友人の紹介で一緒に食事に行ったり…。

そんなふうにして出会う可能性が、いくらでもある。

間近に接すると「少し我が強くておかしなことも言うけど、まあ普通の人」といった感じではないか。

 

結局のところ、この男の動機は「単なる逆恨みの類い」に思える。

 

男は大麻を吸っていたようで、それによって逆恨みが誇大妄想にまで膨らんだ可能性は高い。

ただ、大麻解禁が少しずつ議論されており、また、一概に危険視できるものではない(医療用ほか)ため、今回の事件がねじ曲がって引用されなければ良いが…とは思う。

 

 

3.

 

男が事件に走った「ターニングポイント」と思われる出来事がいくつかある。

 

・学校教員を目指したが挫折。(親が教員だったので、かなり挫折感を深めた可能性も)

・大学卒業後、企業に勤めるが退職(自主退社?)

・事件の舞台となった、障害者施設を実質「クビ」に。(3年間勤めたが今年「クビ」に)

・今年に措置入院。しかし、わずか2週間足らずで退院。

 

…事件は、この4ヶ月後に起きた。

 

 

これは、典型的な「アノミー」の状態だ。

 

経済学者・小室直樹氏の言葉を借りれば「社会的な連帯からこぼれた、無秩序な状態」である。

 

男は、職場、将来への展望・希望など、社会的なあらゆるつながりから切り離された「糸の切れた凧」のような状態に陥った。

 

このような状態下で、人は狂う。

 

例え措置入院であっても、男は社会から認知され、気にかけられ、できれば心配されてたかったのではないか。

 

しかし、それですら2週間足らずで「放り出された」。

 

男は、社会は自分を助けてくれない、自分の存在に気づかない、居場所がどこにもない、と感じたかもしれない。そして、極端なところに行ってしまう人に限って「助けて」の一言が言えなかったりする。(ただ、この男の場合は、かなり歪んだ形でSOSを発信したが)

 

 

4.

 

事件に「理由」をつけるのは簡単だ。

 

しかし、起こってしまったことについては取り返しがつかない。

 

こんな時、言葉の無力を痛感する。

 

 

 「行政が悪い」「警察が悪い」「教育が悪い」…そんなふうに責任転嫁することは簡単だが、これもやはり的外れだ。

 

たぶん、私たちの社会そのものが「アノミー」(無秩序状態)なのだ。

もはや、社会の側から連帯や共同体を提供する、ということができなくなっている。

 

これは、高度経済成長を経た「自由な国」に共通だ。

だから、私たちは「アノミー」(無秩序状態)を個々人でサバイブし、居心地のよい環境や生き方を自らクリエイトしなければならない。その「自由」はある。

 

「自由」とは、本質的に「かなりしんどい」ものなのである。