僕らが生きられる時間はそんなに長くないかも、という話
1.
日本女性の平均寿命は、いまや90歳に迫る勢いだ。
男性も85歳前後だったはず。
今後、もっと寿命は延びてくるだろう。
たぶん、医療の進歩で150歳くらいまでは生きられるようになるのではないか。
すると「60歳くらいにしかみえない100歳」とかが出てくるかもしれない。
…さて。
肉体的に、物理的な意味での「寿命」は伸びている。
しかし、人生を謳歌する意味での「生きている時間」は、案外短いのではないだろうか?
例えば。
100歳まで生きた人がいたとする。
その人は若い頃、連日の激務でプライベートも皆無。
休日はごろ寝をする程度。
結婚もして家も買い、何やかやお金がかかるため、仕事人間に。
余裕が出たのは、60代半ばの退職後。
しかし、取り立てて趣味があるわけでもないので、TVなどを見て、なんとなく日々を浪費する。
そして90歳頃に大病を患って寝て過ごすことが増え、100歳に自然死。
…決して悪い人生ではない。
しかし同時に、なんだか水で薄めたコーラのような人生ではないか、とも感じる。
たぶん、私たちの人生は、長生きすればする分だけ楽しいことが増えるのではなく、ただ単に間延びして質が薄まっていくことも、ままあるのだ。そんな気がする。
ただ待っていたのでは、楽しいことは、そうそう向こうから訪れたりはしない。
楽しむのにも、勉強や経験、ノウハウや技術が必要だ。
人間が物理的に生きられる時間は増えた。
今後も増えてゆくだろう。
しかし「生を実感できる時間」は、自分で人生をデザインしなければ確保できない。
思い込みや固定概念、制度、教育、仕事、その他もろもろ。
「生の実感」を奪うものに気をつけて、場合によっては上手に折り合いをつけながら、QOLの向上を目指したい。
2.
高齢になってからの「セカンドライフ」なんて幻に過ぎない。
「全てを手に入れて、安定しきってからのプラン」など、「単なる余生」だ。
仮にセカンドライフというものがあるならば、そのチャンス・タイミングは20代〜30歳くらいまでに訪れるはずだ。
義務教育が終わり、仕事の経験が多少あり、社会の仕組みがなんとなくは理解できて。
そして、ある程度経済的に自由が利いて、なおかつ肉体的・精神的にもまだ若いこと。
しかし、想像力があれば、そこまでお金はいらない。
安定などしていなくてもいい。
ひょっとしたら「何も持っていない人」のほうがかえって、より軽いフットワークで、新たな人生を送れるかもしれない。
うーん、なんかとりとめのない話になった。
…1つ思うのは、子供はやはり大人の姿を見て育つということ。
大人がしっかり楽しく「生きて」ないと、子供も充実した毎日を送れるはずがないじゃないか、と。
少なくとも、未来を生きる人たちに対して、今現在の大人達は多少の責任を等しく負っているのだ。そう思って生きると、毎日が違ってくるかもね。