奨学金で自己破産しないための方法
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現在、奨学金を借りる大学生は、50%以上にのぼるという。つまり2人に1人は奨学金を借りているということだ。そして、奨学金の滞納も増えており、現在33%に上っているとか。
また、経済的な理由で、途中で学業を諦め、大学を辞めてしまう人も多い、というのが自分の実感だ。大学時代、自分の身近な人だけで、5人くらい中退した。あるいは、途中から大学に来なくなったり、留年している人も多かったので、結果的に10人くらいは中退したのではないだろうか?
…よっぽど暇な大学なら可能かもしれないが、普通は、勉強しながらそれなりにアルバイトも入れてという生活を4年間も続けることは難しい。
自分は、幸か不幸か就活をやったことがないが、早ければ大学2年から3年の段階で、就活の準備が始まるという。はっきり言って、何のために大学に行っているのか分からないのではないだろうか。自分としても、そんな現状を考えてみると、どうしてもそう思えてしまう。
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現在は、ネームバリューのある大学に行くか、確実に役立つ知識や技能を身に付けられない限り「大学に行くことが負債となる時代」がやってきたわけだ。
その意味では、大学教員になるつもりでもない限り、特に「文系の学科」に行く意味はほとんどないと言えるだろう。 ただ、理系の研究者も、研究費などの面でかなり厳しい生活を強いられる方が多いようなので、 いずれにしても、かなり先々のことを考える必要があるかと思う。
特に、 上京したり、一人暮らししなければならない若者は、本当に大変だと思う。
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なお、学生支援機構も現状を受けて、どんどん強硬策を取るようになっている。 なんと、国の運営機関(文部省所管)でありながら、消費者金融のようなやり方をどんどん取り入れているのだという。
現在の日本は、「子供でいられる時間」がどんどん短くなっているのかもしれない。 きちんと、保護される環境がなければ、安心して学業をすることもできないし、あるいは文化(若者文化、サブカルチャー)を育んでゆくこともできない。
私たちの世代は、団結という点では前の世代のよりも弱く、また、苦手であると思うが、もう、そうも言ってられないのではないかという気もする。
あえて言い切ってしまうけれど、自分たちよりも上の世代の人たちには、私たちの現状や苦しみはなかなか理解してもらえていない。それは、年齢が開くほどに顕著になってくる。
おじいさん・おばあさん世代は、「正社員になって、家と車を買い、結婚して、子供を育てる」ということをやっていない人たちのことが、ほとんど理解できない。
終身雇用があり、高度成長経済成長期を過ごした高齢者は、昭和の古い常識の中にある。
あるいは、もう少しマシではあるが、バブルを経験した私たちの親世代も、現在の若者が置かれている状況をあまり理解できていない部分があると感じる。
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自分に何かできることはないか、と思う。
だからこそ、こんなブログを書くのかもしれない。たった1人か、2人でもいい。この文章を読んだ若い人たちが考えるきっかけになればいいと切に願う。
もしも大学にいきたいと考えるならば、高校から現役で大学へ行こうなどとは考えないことだ。
(特に、周囲の何人かに聞いてみて、名前がほとんど知られていない大学には行く価値がない。大学の価値は、名前や偏差値で決まるわけではないのだが、 割に合わない可能性が高いと考えるべきだ。 はっきり言って、知名度のない大学を卒業しても、就職に有利になるということはほぼない)
ならば、2年ぐらいアルバイトをしてお金を貯めながら、どのような進路をとるかしっかり考えてみてはいかがだろうか。
その間、別に予備校などに行く必要はないので、図書館などで勉強してみよう。あるいは、ネットのオンライン授業などは、値段が安いこともあるので、それなら検討する価値はあるかもしれない。
それで、ある程度知名度の高い大学に行ける学力がついたら、受験すればいい。2年勉強しても学力が上がらない場合には、「食べていける資格の取得」を目指した勉強にシフトしたほうがいいと思う。 あるいは、働きながら資格取得が目指せる職場に就職してしまおう。フリーターは、ダラダラ続けないこと。この段階では、とりあえず大学進学は諦めること。
それで、25歳〜30歳位まで働いて、資格も取得して、ある程度生活に余裕が出てくるようになったら。そこで初めて「大学進学」を考える。社会経験がある分、何を学ばなければいけないかということが明確に判断できるようになっているし、社会経験で学んだことを上乗せできるので、 勉強の効率が大幅に上がる。つまり、「大学に進学する費用対効果」が大きく向上するのだ。
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頭を使って、よく考えて、時間をかけて判断するようにしてください。
誰かが守ってくれるとは限りません。
元気で、未来あるあなたから、労働力だけを搾取しようとする人・システムが、確かに存在していることをお忘れなく。
逃げ場のない世界はどこに向かうんだろう、という話
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トランプ大統領には今のところ明確な政策プランは無いようだ。少なくとも、公式に発表されているレベルでは。
しかし、発言の端々を総合すると、基本的には移民を制限し、あるいは排斥する方向で動くようだ。どうやら、難民受け入れにも消極的な姿勢をとると言う。これが本気で実行されると「閉じたアメリカ」が姿を現すことになる。
移民(の侵略)によって誕生した国家が、移民を受け入れなくなるということ。
大変皮肉な話だが、良くも悪くもアメリカは大きく変わっていきそうだ。
失望したり、大喜びしたりするのは時期尚早なので、当分は動向を見守るしかない。
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本題に移る前に、今回のトランプ当選で考えたいくつかのことを簡単に書いておこうと思う。
・ 得票数だけで言えば、クリントンが勝っていたという事実。現状の選挙制度に則って行われたため覆しようはないが、正確にアメリカ国民の民意を反映した結果なのか、大きな疑問が残る。
・ 民主主義の理念はなかなか素晴らしいと思うが、何かを決定する際に用いられる「多数決」には大きな欠陥があるということ。 例えば、多数決の原理では、51対49という結果になっても、多数派の意見が通ってしまう。 しかし、落ち着いてよく考えれば、これは「ほぼ2分された状態」にも関わらず、51の方を「多数派」と呼ぶのはいかがなものかと思う。
・ 沖縄の米軍基地撤退の可能性が、近年の中では最も高い状態にあるということ。沖縄県内でもより活発に議論して頂き、日本全体でも活発に意見を交わす必要があると思う。ただし、トランプの目的は「アメリカ軍の経済的負担減」(日本、金出せ)だ。少なくとも、うまく外交をやらないと「思いやり予算」(笑)が増大してしまうだろう。
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移民や難民を受け入れないという姿勢の背景には、テロリストへの恐怖がある。彼らが侵入するルートになることを恐れているからだ。
もちろん、中流階級以下の不満もある。自分たちが大変な思いをしているのに、彼らだけは国の制度によって、手厚い支援を受けていることが許せないというわけだ。
このような傾向はアメリカのみならず、ヨーロッパにおいても広がっている。
その結果、自国では生きていけない人々が、事実上の逃げ道をどんどん絶たれることになる。
そして、とある国では治安が悪化し、政治が過激な方向に進んだり、武力に訴えかける人も出てくるのではないだろうか。
このような流れの行き着く先として、世界がより危険な場所と化す可能性も考えられる。
…実は、これこそ「彼ら」の狙いであり、思うツボだったりするわけだ。
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「逃げ場のない世界」(逃げるという選択肢のない世界)とは「地獄」のことである。
最悪の場所に生まれた人は、最悪の場所で一生を過ごし、苦しみ続けなければならない。
最高の場所に生まれた人は「パンがなければケーキでも食べれば?」と言って、ワインなんかを飲んでいる。
しかし、私たちの多くは「それはおかしい」という事が理解できる。
自然の掟では、それが仕方の無いことだとしても、私たちは自然の掟に逆らうことができる。
If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive.
If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.
(タフでなければ生きて行けない。
優しくなれなければ生きるに値しない。)
『プレイバック』より レイモンド・チャンドラー著
地獄に生きる人々へ馳せる想いを失ったとき、私たちは生きる値打ちを失う。
…なお、上記の引用では「タフ」と訳されることも多いが、それは、アクションスターのようなイメージを想起させる。
しかし、原文は「ハード」だ。
もっと正確に訳せば「まじめで頑なな厳しさ」というふうになるのではないだろうか。
どちらかと言えば、昔の日本やアメリカに居た「根は優しいが厳しい頑固親父」に近い感じかもしれない。
また「ジェントル」も優しいと訳されることが多く、決して間違ってはいないのだが、語源などからより正確にニュアンスを考えると「品の良い振る舞い」とでも言った方がより近いかもしれない。
上記の言葉は、全ての人間に共通する「生きるという、きれい事ではない厳しい現実」を知った上で、なおかつ「何をなすべきか」を提示しているのだ。
それではなぜ、「品の良い振る舞い」が必要なのか?
それは、単なる建前としてのポーズではなく「他者と共存する意思表示を示す振る舞い」だから、なのではないだろうか。
5.
「逃げ場のない世界」で、私たちは生きることができない。
相談できる人が1人もおらず、心を癒やす1冊の本や映画もない。
今起きているイジメや虐待の現場(学校や家庭)、過重労働を強いる会社、内紛・戦争の起きている国から、やっとの思いで飛び出したときに、自分を受け入れてくれる人・環境が何1つない。
……それが一体どういうことなのか、個々でかなり真剣に考える必要があるかもしれない。
これは、福祉制度の拡充とか、政府がなんとかしなければならないとか、そういった次元を遙かに超えた話なのだ。
誰かが始めなければならない。
他の人が協力的ではないとしても、それはあなたには関係がない。
私の助言はこうだ。
あなたが始めるべきだ。
他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。
何度も、何度でも引用したい言葉だ。自戒の念も込めて。
嫌われる勇気〜大問題?「これからの共生」の話
1
自分は今年30歳を迎えたわけだが、今最も気になる問題が「共生」の問題である。
言い換えれば「人との関係をより良く広げるにはどうすればいいか」ということを考えている。
そこで思い出すのが、ブランキージェットシティというバンドの『悪いひとたち』という曲だ。
悪いひとたちがやって来てみんなを殺した
理由なんて簡単さ そこに弱いひとたちがいたから
(中略)
悪いひとたちはその土地に家を建てて子供を生んだ
そして街ができ 鉄道が走り
悪いひとたちの子孫は増え続けた
『悪いひとたち』より
深く考えさせられる素晴らしい曲なので、さまざまに解釈することができる。自分は「悪いひとたち」とは一体誰なのか?という点が、非常に気になった。
弱い人たちを殺しに来た「悪い人たち」もまた、「かつて強い人たちに迫害された'弱い人たち'」だったのではないか、と思うのだ。何らかの理由で、元いたコミュニティから移動せざるを得なかった人間(あるいは集団)ではないだろうか。
ちなみに神話では、この手のモチーフの話がかなり多く存在する。
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郵便・流通システムの発達によって生まれた「手紙」や「出版」が新たなコミュニケーションの形を創造したように、「SNS」や「電子メール」なども、ユニークなコミュニケーションの方法を作り出した。
コミュニケーションの方法は多様化しており、それが、相互理解の助けになっているという点では、大変希望が持てる話だと思う。
しかし、私たちがどのように人と関係し、持続可能な関係を築くかという点は未解決のままではないだろうか?
果たして、それがテクノロジーで解決可能なのか、あるいは不可能なのかといった点には大きな関心がある。
例えば、他者との関係に疲弊し、絶望したことのある人間は、それを乗り越えなければならない。
これは「トラウマ」といった、曖昧で心理的な問題ではない。
コストの面などを考慮した極めて論理的な帰結として「人付き合いは割に合わない」という結論が出てしまった場合に、それを再び論理的に乗り越えるような理論が必要だということだ。
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自分は現状「人付き合いは割に合わない」と感じることが多い。その理由を思いつくだけ列挙してみよう。
・ 時間やお金が無駄に費やされてしまう可能性が高い。
・ ストレスを感じたり、場合によっては健康を害してしまうことすらある。
・ 自分1人で有意義に過ごす方法を、ある程度習得してしまっている。
・ 周囲を見ても、人に振り回され、様々な損失を被っている人々の姿を見る機会が多かった。
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自分の場合は、ビジネスなど利害が絡む関係では、全く問題なくコミニケーションすることができるし、むしろ、それが好きだとさえ言える。 枠組みがしっかりしており、したがって目的や方向性もはっきりしているため、 あまり疲れることもない。
なので、今回で問題になるのは「持続可能なプライベートの関係をいかに広げ、構築するか」と言える。
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プライベートな関係の問題点は、枠組みがなく、したがって、方向性といえるようなものもない。そのような場でのコミュニケーションは「空気」といったような、わけのわからないものに左右されており、会話の空白を埋めるためだけに、時間やお金を浪費することになる。
大学生までならば、このような時間の使い方も良いだろう。事実、自分もそんなふうにして友達と付き合っていた。 しかし、大人になれば、他にやることはたくさんあるし、また、よっぽどのアホでない限り、飽きてくるのではないだろうか。
それでは、こんなふうにして付き合っている人たちは「自分が本当に困った時のセーフティーネット」になるだろうか?経験上、ほとんど期待できないと言わざるを得ないかと思う。
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このような問題に直面した時、おそらく多くの方が走るのが「自分磨き」ではないだろうか。
端から見ていると一体どのような目的があるのかわからないにも関わらず、ものすごく頑張ってダイエットしたり、体を絞っている方がいる。 あるいは、収入に見合わないほどよい洋服を揃えたり、ブランド物の持ち物を買ったりする方もいる。
そういった方は、無意識のうちに、 自分にとっての理想の出会いを引き寄せようとしている。しかしこれは、ある意味で「他者を操作している」ことに他ならない。
もちろん、それを非難することはできないし、軽蔑することもできない。当たり前だが、汚いよりも、清潔でこざっぱりとしている人の方が良い。
だが、他人を操作した代償は必ずやってくる。理想の自分を演出し続けることは、とてつもなく大変だ。 そして、その演出を放棄してしまうことは、関係が終わる原因になるかもしれない。このように、無理を続けなければならないような不自然な状態では、持続可能な関係は作れない。 おそらく双方にとって、得るものがあまりない。
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このような悩みに、ひとつの終止符を打ってくれるのが「嫌われる勇気」なのかもしれない。これは、身も蓋もない現実を見つめて、「1つの覚悟をする」ということである。
これは、仏教的な「諦め」の境地に極めて近いと思う。(正確には’自分ではどうにもできないことを諦める’ということ。人生を投げ出して自暴自棄になることではない)…ある種の達観なのだ。しかし、「嫌われる勇気」によって気持ちがラクになったとしても、他者とどう関係するかという問題は解決しない。
ちなみに、仏教における実践では「俗世を捨てる」ということが次のステップになる。 ただし、これで終わりではない。多くの方が、ここで終わりだと誤解してしまうのだが、1度俗世を捨てた後で「再び俗世に戻る」という点が大きなポイントといえるだろう。
でも、今の時代は宗教に頼るのは危険かと思う。カルト宗教も多いし、事件を起こした某教団の事例もある。
…ということは、1人孤独に歩まなければならない、ということになる。でも、そんな孤独に耐えられない方もかなり多いのではないだろうか?
それで多分、とりあえず必要なことは「孤独に歩む人同士が緩やかにつながり関係しあうようなこと」なのかもしれない。21世紀のそれは、宗教という名でも、政治団体という名でも呼ばれることはないだろう、多分。
じゃあ、それは何なのか?
電通だけじゃない、という話
1.
「電通」は、日本のみならず世界最大クラスの広告代理店として、テレビをはじめとする多くのメディアやイベントに関与している。
(単体として)世界で最も売り上げのある広告代理店であると同時に、日本以外での知名度がほとんどないという特徴を持った企業組織である。社則である鬼十則が有名である。
ニコニコ大百科(仮)
通常、電通関係の不都合な報道に報道各社は及び腰なのだが、さすがに今回だけは報道せざるを得ない状況になっている。
2.
当然のことながら、過労や激務、行きすぎた残業は電通だけの問題ではない。
場合によっては芋ずる式に、大企業へメスが入っていく…ことを期待したいが、今回の強制捜査は「とりあえずの見せしめ」で終わる可能性も高いと思う。他の企業に対する、多少の抑止力としては働くだろうから、もちろん意義のあることだとは思うけれど。
…激務の背景には3つの問題が絡んでいる
・ 日本は「理不尽な労働を強制したら即訴訟」みたいな文化ではないこと
・ 事実、大企業ではこなさなきゃいけない業務量が膨大である(と予想される)こと
・ 「労働が美徳」であるような意識が日本では根強いこと
ベーシックインカムやリモートワークなんかの話が出てきて「キャパを超えて働かなくて良い世界」が実現するかもしれないというビジョンの一方で、大企業はそれに対応できるだけの小回りの良さをもっていない。サメと同じで、動きを止めたら死ぬ類いの動物なのだ。
はっきり言って、過労は「一企業の体質」とか「注意すれば直る」とか言った類いのものではない。構造的な問題なのだ。グローバリゼーションや高度資本主義という、システムの問題なのだ。
この問題を解決できる唯一の存在こそが「政治」だ。
…だが現実には、政治家をもってしても、解決は難しい、と思う。
国内のみの問題ではなく「開かれた市場」の問題だからだ。
むしろ政治判断が、状況をより悪化させるケースも多いことを考えると…一筋縄ではいかないだろう。
3.
前にも引用したけど、改めて、この寓話を引用したい。
長いので、リライトして短めにして掲載する。
メキシコの田舎町で漁師が小さな網に魚をとってきた。
それを見たアメリカ人旅行者は、「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。
漁師「そんなに長い時間じゃないよ」
旅行者「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
漁師「自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だ」
旅行者「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」
漁師「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、
きみにアドバイスしよう。
いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「20年、いやおそらく25年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」
もちろん、この話は寓話で、たくさんのツッコミどころがある。
それにも関わらず、この寓話に価値があるのは「大金を得て手に入れようとしている生活や幸せは、実は、お金がなくても手に入る」ということを教えてくれているからだ。
少なくとも、先進国では、あまりお金がなくても豊かに暮らせるような環境になっている。有史以来の技術革新は、ダテじゃないというわけだ。
一昔前なら、100億円払ったってiPhoneは手に入らなかった。
それから、今はどんな僻地に居たって、連絡が取れる。
(自分は、南の島の端っこや、人家もほとんどない浜辺でwifiがつながったとき、本当に深く感動した)
メールを使えば、どれほどの量の文章や画像でも無料で送ることができる。
それに、国内外をこれだけ安く移動できるようになったのも、実はここ数十年の話だ。
こんな時代に「過労死」って…
なんだか率直に「21世紀にそぐわない」と感じられてならない。
4.
自分は、実はこの世界の未来(とりあえずやってくるであろう変化)に、ある程度の希望や期待を抱いている。
同じだけ不安や失望も抱えているけれど…。
とにかく短いスパンで時代がどんどん様変わりしてゆくかと思うので、今本当に大変な思いをしている方や、若い方には「もう少し辛抱して欲しい」と言いたいような…。
でも「待てない」ということであれば、
世界を変える方に参加するしかないかと思う。
自分を過小評価せずに「面白くて、あわよくば万人のためになるかもしれないこと」をはじめてみるのだ。そのために生活を劇的に変えなくてはならないのならば…変えてみてはいかがだろうか?少なくとも「よく考えたら、生き方変えてもなんとかなりそう」と言う方は、トライする価値があると思う。
勉強して知識を付けるのでもいい。
何か技術を身につけるのでもいい。
誰かに弟子入りするのも良いかもしれない。
…少なくとも、死ぬ必要は、ない。
"だいとーりょーせん"の話
1
明日からアメリカ大統領選挙の投票が始まる。
アメリカは、大統領によって政策や国の雰囲気が大きく変わるので動向が非常に気になる。
う〜ん…
正直「ちょっと危ないんじゃないか?」と感じる候補はいる。
フィリピンのドゥテルテ大統領は、大国に挟まれ、まだ発展途上の面もあるので、単なる「暴言」で済むが。それが、世界に大きな影響を持つアメリカ大統領ならどうだろう?
2
「某・つやつやな巨漢氏」がかなりの支持を得てきた背景には、米国民の「コトバ」と、政治の「コトバ」が大きく乖離してしまったことがあると思われる。
たぶん、多くの人間が「ポリティカル・コレクトネス」にうんざりしてしまっているわけだ。
ポリティカル・コレクトネス(英: political correctness、略称:PC)とは、政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで、職業・性別・文化・人種・民族・宗教・ハンディキャップ・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現を指す。
「言いたいことが自由に言えない」と感じているアメリカ人は多いらしい。
欧米の方は、ある意味では日本人以上に潔癖で、本気で差別や偏見を悪と思っているからこそ、言葉やふるまいにはとても気をつける。
ギャグのような話だが「障害者」は、ポリティカル・コレクトネスで言い換えると「チャレンジしている方」ということになる。視覚障害者なら「視野に対するチャレンジャー」ということになるのだろうか。ここまで来ると、逆に皮肉に聞こえるのは、自分だけだろうか?
…一方で、このような配慮はものすごく疲れるし、ストレスがたまる。
「某・つやつやな巨漢氏」は、まるで前時代の西部劇映画に出てきそうなほど、ずばずばと「言ってはいけないこと」を、言いまくる。
あきれつつも、これに爽快感を感じる人も多い。…支持率の上昇は、それを物語っている。
3
つまり、今回の「ため息が出るけどなんとなく気になる」"だいとーりょーせん"は、
ポリティカル・コレクトネス VS 非ポリティカル・コレクトネス
…の戦いと言うことができると思う。
つまり「本音 VS 建前」の戦いとも言えるかもしれない。
もしも大統領が決まって、アメリカが世界に対して「本音」で迫ってきたときに何が起きるのか…不安を覚える方は多いのではないだろうか。
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などと思いつつ、今後の日本一周の計画を立てています。
関東で仕事の打ち合わせが集中したため、1度地元に帰っていますが、旅はまだまだ終わらない……っていうか始まったばかりです笑
でも…12月半ばから年始にかけては、殺人的に混むんだよなあ…
と思いつつ、どの時期にどこにゆくのがベストなのかを考えています。とりあえず、仕事が一段落したら、プランニングしたいな、っと。
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祭りの後 選挙の後のさみしさは
死んだ誰に くれてやるのか
終わらない原発問題の話
1.
廃炉、除染、避難住民への賠償などには多大なコストがかかる。法的な責任は「東電」にあるが、いわゆる「想定を超える災害」が起きたときには免責されるとのこと。この場合、事実上の責任は「国」になる。
ただ、現在は現実的な賠償が東電だけでは到底不可能なので、国が介入している状態だ。
それで、現段階だけで13.3兆円ものコストが見込まれているのだが、NHKの試算では、その70%が「国民負担」になる。税金や電気料金への上乗せで、今後も膨大な量のお金が吸い上げられる。
…「困ったときには助け合わなければ」とは思うので、ある程度お金を出すのは仕方ないと思う。自分と同じように考える方も多いかと思う。
しかし、誰かが分かりやすく「この問題の歴史」や「なぜこんなことになったのか」を話さなくてはいけないのではないか。それだけは、絶対に国民に向けてやらなければならないのではないか。
そして、これから大人になって、そのコストを払わなくてはならない子供達に、きちんと学校の授業などで説明する義務があるのではないか、と思う。
ただ……民主主義である以上、国民が被害者ヅラできない側面も、ゼロではない。
建前でも、私たちが選んだ代表が行政運営し、その結果、原発が立ち、事故が起きたのだから。そう思うと、気が重い。適切な例えか分からないが、第2次大戦後にドイツが抱えた苦悩に似ているかもしれない。しかし、私たちは「特定の個人」を悪の象徴として祭り上げることができない。そこに、1つの困難さがある。
2.
いま知りたい点は以下の4点に集約できる。
・地震大国で、ハイリスクな日本で、なぜ原発が43基もできたのか
(アメリカ、フランスに次いで世界第3位の数だ。中国やロシアよりも多いのだ。原爆を落とされた国がなぜ…というのが、率直な疑問だ)
・現在の技術があれば、「脱原発」で充分な電力供給が出来るのか
(日本では計画停電で夏を乗り切った実績もあるし…。また、沖縄では原発がなくても問題なく電力供給できているがどうなんだろう?ただし、脱原発は技術的・コスト的に可能なのかという疑問は残る。)
・311以降も大きな地震が起こっているが、原発関連の災害がさらに起こる可能性はあるのか?
(直感的には「あり得る」気がしてしようがない。正直言って、怖い)
・311当時はもちろん、現在の「実際の放射能の影響」がどれくらいあるのか
この4点については、今後もちょこちょこ調べてみたいと思う。
3.
今も福島では9万人が避難生活を続けている。
人類は大きな力を手に入れた。
有効利用できれば多大な恩恵が得られる一方で、ひとたび事故が起きれば、生態系やコミュニティを広範に破壊する武器として牙をむく。
このようなリスクを引き受けてもなお、やはり私たちは原子力エネルギーを利用すべきなのか。
また、近年発展がめざましいAI(人工知能)についても「大きな力の1つ」であることに変わりは無い。
ホーキング博士など、一部の科学者などは「AIは核よりも危険、人類を滅ぼす」というような発言をしているらしい。正直311以前ならピンと来なかったが、現在ではそのような主張にもリアリティを感じる。
AIは、従来のコンピューターと違い、自分で学習して、考え、判断することができる。
例えば、世界のインフラを運営・管理するAIネットワークが「最良の問題解決法は、人類を滅ぼすこと」みたいな結論を下したらものすごく危険なことになる。進化したAIの思考力は人間を遙かに凌駕している可能性があるので「ロボット3原則」のようなものを設けても「合法的に」パスしてしまう可能性がある。少なくとも、人間が思いもしなかった挙動を働く可能性は充分すぎるほどあるだろう。
このような技術とどう付き合っていけば良いのか、ということを、最近よく考えている。
願わくば、21世紀が「人類滅亡の世紀」にならないように…。
20世紀には実際に何度か、その寸前まで行ったことを、忘れてはならないように思う。
マイレージ、マイライフな話
1.
南の島から帰宅して、缶詰状態で仕事…
やっと今、一息ついていますが、明日〆切の仕事もあるため、なかなか大変です。
2.
飛行機に乗ったり、特定のクレジットカードで買い物をすると「マイル」が溜まります。
これから、全国を旅するので、マイルについてはいろいろ考えなくては…と思います。
↓ ここまで行くとやり過ぎな気もするけど…
飛行機に乗って、いろいろな場所に行くのは楽しいですね。
あわよくば、行った先で良き出会いもあるよう…そんなふうに思います。
3
マイル溜め どこに行くやら 風来坊
デイトリップの 夢見て眠る